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はやいな、もう週末

2013年02月10日 03:14

 2月9日の備忘録。

 あまり、体調がよくない。

 起きたのは午前8時であるが、なにか食事をたべに行くとき以外はシャキッとしない。

 コンビニにインターネット料金の支払いに行くが、コンビニには年末・年始に年賀状を買いに行って以来、久しぶりではないか。コンビニのおばちゃんに、挨拶したら「先生、お久しぶり」と言われたから、おそらく先の記憶には間違いはないと思う。ちなみに、わたしのあだ名は小さいころから「先生」で、別に近所の人に職業を公言しているわけではない。あだ名がないというのは、小さなころから可愛げがなかったということに繋がり、わたしとしてはあまり嬉しいことではない。両親の言うには、「先生」と「社長」は当たり障りのない敬称なので、よく使われるそうだ。反対に、わたしは小さなときから同級生を「◎◎くん」とか「△△さん」と呼んでいたので、小学校の時代から「ひとを上から目線で」扱っていると言われたことも多かった。別に大学院に行くと公言していなかったのに、高校時代の親友のN氏はわたしのことを「おにいちゃん」、あるいは「先生」と呼んでいたし、大学のゼミの親友のM氏も「先生」と呼んでいた。4年ほど前に、ゼミの同期で年末に旅行に行くというプランを建てたのだが―これはわたしとH氏が幹事役で宿の設定から、予約までを行ったのであるが、わたたしは本務大学の仕事の関係で旅行には参加できなかったー、そのやり取りにおいてM氏が「先生」とメールで書いてくるので、それでは大阪で弁護士をやっているM氏は「大大先生」とよばなければ、とレスした記憶がある。確かに、彼が公務員試験を受験した時に、ミクロ経済学で微積分が分からないと言ったので、理系転向組のわたしが微積分を教えたことはあるが、それをもって「先生」と言われることもあるまい。

 

  わたしが趣味で選定した箱根強羅の環翠楼。ここは、伊藤博文が金子堅太郎、井上毅および伊東巳代治とともに大日本帝国憲法の草案を作成するためによく使っていたことで知られている旅館である。予約や料金の払い込みはわたしが行ったが、合宿には本務大学の所用で行けず、旅行から戻ってきたゼミの同期生と小田急線の新宿駅で合流し、西新宿の居酒屋で旧交を温めるという残念な結果に終わってしまった。次回も幹事よろしくね、といわれていたのだが、翌年に大病で入院することになり、非常に残念な思いがしている。

  

  上記は、M氏がパートナー弁護士を務めている大阪国際綜合法律事務所。数年前まで、M氏は甲南大学法科大学院の実務教員を務めていた。

 

  わたしが学生の頃は、マクロ経済学の教科書は中谷巌先生で、ミクロ経済学の教科書は上記の倉澤先生の本であった。しかし、インターネット検索をする限り現在、この『価格理論』を使用している学生はほとんどいないようである。

  

  当然のことながら、赤チャート式数学Ⅱは上述の本ではなく、数学ⅡAおよび数学ⅡBを受験勉強用に使用した。現在の数学の区分は分かりにくいので、いっそ「解析」と「幾何」に区別した方がよいと思うのはわたしだけか。

 

 午後6時過ぎから、Youtubeで中野剛志氏の出演してた番組の画像をいくつか観て、大体の氏の考え方を理解する。実は、氏がマスコミ等で多くの発言をしていた時期、わたしは入退院を繰り返していたので、どんなことを言っているのか、TPP反対以外は知らなかったというのが実情である。ま~、氏は本省に戻ったからどのような発言をしていたのか、入れ替わりに娑婆に戻ってきたわたしには分からなかったわけである。ちなみに、このような話題は鮮度の問題もあり、氏の本をいまさら購入して読む気もない(入院前に最後に読んだのが『もしドラ』で、退院後に最初に読んだのが『天地明察』である)。ただし、氏が水戸学や古学に関心があることははじめて知った。

  

   この本を読んだ2ヶ月後に40日間も入院することになるとは、八重洲ブックセンターでこの本を買った時には想像していなかった。

       

   病気で貧血になり、眼精疲労がひどかった退院時にリハビリ用に読んだのがこの本になる。

  

   今日の日記は、あまり備忘録らしくはないが夜も更けてきたのでここまでということにしよう。

逆転裁判

2013年02月08日 17:59

  2月8日の備忘録。

 午前10時前後に、タクシーにて本務大学に向かう。

 教員控室のメールボックスを確認し、パソコンでメールを確認した後、生協の散髪屋でおばちゃんに髭の手入と洗髪をしてもらう。

 午前11時から午後3時まで、シラバスのパソコン入力を行う。本務大学のパソコンは、サイバー攻撃からの保護のため学内からLive Campusを通じて成績報告書やシラバスを入力しなければならないのだが、今年は昨年度までと違ってカット&ペーストができないのでとにかく10数本ある講義のシラバスをいちいち入力するので時間がかかる。レジュメを配っても学生には感謝されていないようだから、大人数講義の「日本国憲法」の教科書はレジュメではなく、市販の樋口陽一先生の『憲法 第三版 』(2007年、創文社)と記載した。あと、主だったところでは「法学概論」は『基本的人権の事件簿』、「憲法と社会生活」は『憲法とは何か』および「法と社会」は『シネマで法学』を教科書にしておいた。わたしとしては、学生に教科書を買わせないように努力してきたつもりだが、その親心が学生に伝わらない以上、それなりの出費は覚悟してもらうことにした。わたしは、功利主義者ではないが割が合わないことはしない主義である。

 

  

   

    

  ところで、「法学演習」のテキストだけは趣味に走って、以下のカール・シュミットとルドルフ・スメントの往復書簡集を読むことにした。戦後、ドイツ国法学の系譜はこの二人の学派から枝分かれしたことは周知の事実であり、日本のドイツ憲法学者もこの系譜に繋がることから、わたしのゼミに参加して律儀にもドイツ語で原書を読みたいという学生がいれば、それはそれなりの意義のあることになろう。ついでながら、法律学においては書簡等の研究は地味であまりなされていない(もちろん、J.S.ミルの研究の第一人者の山下重一先生等の優れた業績は忘れてはならない)。しかしながら、日本史などで手紙をはじめとする古文書研究に比べると、少しばかり見劣りするような気がする。さて、来年度にこのゼミに参加する学生がいるのかどうかが、楽しみである。5年前に、自主ゼミでエルンスト・フォルストホフを読んで以来、そのような気概を持つ学生がいないのは残念。

  帰宅途中、ヤマダ電機によって以下の2本のDVDを買って帰り、夕食を境にして一本づつ観賞する。

  ①「逆転裁判」

 サイバンチョが弟のサイバンチョになっている、小中大(こなかまさる)が社長でなくフリーライターになっている等、文句をつけはじめたら限がないが、三池崇史監督にもゲームの「逆転裁判」をプレイしたこともない人も観れる映画として作成しなければならないという大人の事情もあるのだろう。「逆転裁判1」をやっいてない人には一応、お薦め、ゲームをやったことのある人にはイメージが壊れるのでお勧めしない。むしろ、「逆転裁判」等はアニメ映画にした方がよかったと思う。演出的には、狩魔豪(石橋凌)に最後に指さすシーンはゲーム版と同じで成歩堂龍一(成宮寛貴)と綾里千尋(壇れい)をオーバーラップさせた方が効果があったはず。最後に、専門家の観点からすればこのストーリーの根幹である「序審裁判」の説明をきちんとしてもらいたい。

 

 

 ②「会議は踊る」

 

  おそらく、この時代がドイツ映画の最盛期であったと思われる。この当時の一高生は、この映画を観てドイツ語の発音を覚えたという(山口瞳『血族』など)。ナチスの犯罪のひとつは、ユダヤ人差別のために大量の名監督や脚本家をドイツからハリウッドに亡命させたことである。戦後になっても、ジム・ベンダース監督の作品ですら面白くなく、退屈でしかない。今年度の夏、「白いリボン」、「黒い雲」、「白雪姫」、「ミュンヘン」等も観たが、ドイツ映画にはコミカルさがない。しかし、今回はこの名画の余韻を味わいたいので批評はこれまでにする。

第9地区

2013年02月07日 22:27

  2月7日の備忘録。

 午前9時過ぎに、日本比較法研究所から住所および印税の払い込み先の問い合わせの電話がかかってくる。前者は献本を宅急便で送ったのであるが住所不在で戻ってきたための住所確認であり、後者は東京時代の銀行口座のままだったので、それを継続してもよいのかという確認であった。しかし、わたしの住んでいる地方都市の宅急便は、前にも書いたと思うが少したるんでいるのではないか。郵便物は遅滞なく届いているのに、宅急便は着払いでないと連絡もないし、おまけに返送してまうのは問題である。

 今日は1日自宅マンションにて、風邪気味なので休養する。しかしながら、メールをチェックすると学内からの案件のメールが大量に来ており、それらのうち、自宅で処理できるものは文書を作成し、本務大学に添付ファイルで返信した。明日は、在外研究の日であるがシラバス等の作成の仕事も残っており、大学にいくつもりで自宅にいたのであるがこれではのんびりできない。

 午後9時過ぎから、下記のニール・プロムカンプ監督「第9地区」のDVDを観賞。映画自体は楽しめたが、南アフリカのヨハネスブルグが舞台で、エイリアンの差別問題とその強制収容、そこに軍事産業の思惑が絡むというのでは、アパルトヘイト、レソト地区、人種・エイズ差別……のありきたりの内容のようで知的好奇心は満たされなかった。虫型エイリアンが故郷の星に帰えろうとするストーリーは、すでに岩明均『七夕の国』や花輪和一『月ノ光』等を読んだわたしに新鮮味は感じられない。この映画の独自性は、最初と最後のシーンがドキュメント・タッチで撮られているところか。

 

(追記)

 岩明均氏の作品の話が出たので、付言しておくとわたしは氏の『寄生獣』、『ヘウレーカ』および『ヒストリエ』の3作品は好きである。ただし、氏の作画タッチがそのように見えさせないが、氏の作品はスプラッターな残酷シーンが多い。例えば、『ヘウレーカ』のアルキメデスの開発した投石器、またアルキメデスの発明を応用した主人公ダミッポスの開発したソーラーレイ兵器がローマ兵を次々に殺傷するシーンはかなりグロテスクだとおもう。

 

  

 

 

臨時教授会

2013年02月06日 21:29

 2月6日の備忘録。

 昨日から今日は雪が降ると言われていたが、本当に雪が朝から降っていた。

 午前10時過ぎに、本務大学にタクシーで向かう。

 まず、総務に行って欠勤届(昨日の病院の定期健診)の手続きをし、20日の教授会の委任状(本務大学の集中講義)を提出してから、学務に行って月曜に返却できなかったB208のラックの鍵を返却した。

  とにかく、教員控室のポストが火曜と水曜の2日間でいっぱいになっていた。おそらく、この業界にいると普通の人の何倍もの郵便物が送られてくることになろう。いらない勧誘の郵便物を処分して、対応すべき手紙などの案件を処理していたら、あっという間に午後1時になってしまった。

 午後1時から午後3時まで、臨時教授会。外部に公開できない事案があったので、ここでは教授会があったとしか書き込まないことにしよう。久しぶりに、教授会で発言したことことぐらいは書いても問題ないので追記する。

 午後5時から教室会議があるとの通知が教室長から事前にあったので、その時間を有効利用して前日の試験の結果をLive Campusに登録したり、まだ書けていない来年度のシラバスを書き込むが、教養、専門が滅茶苦茶に入り込んでいるためになかなか完成しない。その間に、南太平洋沖地震の余波としての津波警報で何度も携帯がけたたましく鳴る。

 午後前に、わたしが前に使っていたA521に向かうが鍵が開いていなかったので、院生の川又くんに鍵を開けてもらって、しばらく川又くんと立ち話をして過ごす。教室長が来て、今日はA526で会議をすると知らせてくれたので、場所を変えてそこで午後5時から午後7時前まで会議。とりあえず、差支えない内容としては卒論・修論発表会の来週の開催についてのこと、特任教授できてもらう斎藤先生の使用する部屋をA521とし、A522を内留生の共同の研究室に充てるということである。

 帰宅したのが午後7時半を過ぎていたので、遅い朝食をたべてから、下記のリドリー・スコット監督の「ブレードランナー ディレクターズ・カット版」(1993年)のDVDを観賞する。

  最初、「ブレードランナー」(1982年)を観たのは大学の映画上映会で観たと記憶している。都内の大学はどこでもそうだと思うが、定期的に映画鑑賞会、講演会等が開催され、学生は大学生になったとの文化的雰囲気を体験できる。この映画で印象的なのは、タイレル博士の会社の最上階でデッカードがレイチェルにはじめて会う場面で、夕日に照らされたレプリカントのフクロウの眼が偏光するところである。それとのコントラストで、デッカードがレイチェルがレプリカントであるかどうかをチューリング・テスト(フォークト=カンプフ感情移入度測定法)で瞳孔検査するシーンが綺麗である。

  この映画の見どころは、ショーン・ヤングの演じるレイチェルの美しさである。まさに、レイチェルを観賞するためにだけ「ブレードランナー」を観に行ってお金と時間を使っても惜しくない。ダリル・ハンナが演じる慰安用レプリカントのプリスよりも美人であり、色気があるとおもうのはわたしだけではあるまい。しかし、プリスと同じ目的でレイチェルを作ったとしたならば、タイレル博士は姪の記憶移入をしていないだろうから、そこら辺りの想像は鑑賞者の解釈に委ねるということになるのであろう。この当時、ロックの悟性論でtabula rasa(白紙)に記憶が書き込まれていくということを学んだところだったので、学問的にもおもしろかった。

 

 この小説と映画の逃亡レプリカントの人数の相違のため、また映画編集の拙さのために第6人目のレプリカントとは誰かという問題が残された。1993年のデレクターズ・カット版ではリドリー・スコット監督はこの問題をユニコーンのシーンを入れることで、デッカードがレプリカントであることを暗示させているが、これについては論争があるそうだ。原作の小説は大学生時代と、千葉大学に非常勤講師で出向していた時に総武線車内で読んでいるが、タイトル名は秀逸だが、内容は「?」といった感想である。いずれにせよ、人間とレプリカントの相違とはなにか、人間の個性を生むのは形質か記憶かといった法哲学的に奥深い映画である(記憶移入すると感情が生じるとタイレル博士は言う。しかし、博士はチェスでレプリカント・ネクサス6型のリーダー・ロイに負けているのはどうしてか。知性と感情はことなるのか)。ちなみに、わたしたちが学生の頃は、サンリオSF文庫が次々とサイバー・パンクSFを翻訳出版していた時期と重なる。ついでながら、わたしは1979年から『SFマガジン』を購読し、バックナンバーを自宅と研究室に分置していることは意外と知られていない。しかし、この映画の設定は2019年ということだから、近未来の話になってしまった。

 レプリカントのリーダー・ロイ役のルトガー・ハウアーはこの映画で好演しているが、わたしが好きな彼主演の映画はエルマンド・オルミ監督「聖なる酔っ払いの伝説」である。

 

  この頃は、オーバー・ドクターだったのに顔パスで学割料金で映画を観まくっていた時期でもある。

定期診断

2013年02月05日 20:54

 2月5日の備忘録。

  今日は、定期診断の日なので共済病院に行ってきた。

 午前7時半過ぎに、自宅からタクシーで病院に向かう。

 病院のカードや、お薬手帳、共済証を持っているかどうか確認しているのに手間がかかり、いつもより30分程度出発が遅れてしまった。そのため、いつもは受け付け番号が10番以内なのに、この日は35番であった。したがって採血後、待たされるとは予想したが、診断が終わるのが午前11時半過ぎになるとは思ってもみなかった。本年の初診断なので、顔なじみのお医者さんや看護士さんに挨拶をしていく。血液検査の結果は、肝機能が若干低下していることと、貧血気味であるということであった。主治医の説明では、服用している薬のうちのひとつの副作用が出ているのではということであったが、これを止めると再燃焼するリスクがあるので服用を続けることにした。いずれにせよ、下記のように大腸全体が糜爛と出血で死にかけていたから、ここまで回復できたのでよしとしなければならない。

 

  

 わたしの場合、上記図でいえば左側大腸炎型と全大腸炎型の中間にあたり、現在はアサコールのおかげで糜爛と出血が止まり、その部分に100余りのポリープと肉芽ができている状態である。診断後、病院で処方してもらった薬を病院前の薬局で購入しないといけないので、さらに時間を浪費してしまう。しかも、薬代が馬鹿にはできないぐらいに高い。たしかに、医療控除は受けられるので薬代は戻ってくるのであるが、それは確定申告後のことなので毎月2万円の出費は覚悟しておかなければならない。(ちなみに、この病気は安倍総理と同じ病気である。)

 午後1時過ぎに、本務大学に行くが服用薬を職場に忘れては大変なことと、学務から昨日使用したB208のラックの鍵を返却していないとのメールが入っていたので午後3時には自宅マンションに帰宅する。学務の上原さん、お手数をおかけします。午後4時から午後5時半まで寝てしまう。

 午後6時過ぎに、夕食をたべて薬を飲んだ後、こまごまとした書類書きの仕事をこなしていく。

 午後11時から翌午前1時まで、下記のDVDを観て就寝。

 

 それまで医者知らずのわたしにとって、病院にいくこと自体で疲れてしまう。したがって、本日の書き込みはここまでということにする。おやすみなさい……。

16講と授業アンケート

2013年02月04日 22:32

 2月4日の備忘録。

 この日は、先週行った試験の講評会を行い第16講とし、授業アンケートをとった。おそらく、アンケート内容は学生の書きたい放題で、あまりよくないものと思われる。なんせ、授業の出席は点数の配分とは無関係なので、ワンシーズンに1回実施するレポートの提出だけが、その学生が出席しているかどうかの確認の証拠になるに過ぎない。したがって、アンケートでこの地声が大きいことで有名なわたしの声が小さいとか、100枚を越えるレジュメを配布しているのに授業の準備が不十分だとか、平気で書いているずうずうしい学生が毎回、散見される。自己責任の伴わないアンケートには、そもそもわたしは信頼を置いてはいない。これを精緻なものにするためには、記名アンケートとし、学生にも応分の責任を負ってもらうことにすべきである(もちろん、その主張が正当であれば教員の賞罰は厳正に行われるべきである)。それと、これは大学に対しての要望であるが競争講座制度を導入してもらいたい。そもそも、二つ以上の講義を比較対照しなければ、その授業が良いか悪いかは学生には判断できない。アンケートを取るだけでいいと考えるのは、統計学上誤りであるということは実証されている。かつてのように、成績の甘い先生は「仏」、成績の辛い先生は「鬼」、学生の授業態度に寛大な先生は「仏」、厳格な先生は「鬼」という人気投票のようなことを廃止するために、現在のアンケート調査が行われていると思うのであるが、それが十分に生かされていない。それと、試験時間中にアンケートを取るのは意味がなく、それこそLive Campusで学生自身にアンケートを入力させるべきであろう。かつてわたしが担当していた「日本国憲法」のように、300名を越える受講者がいて、しかも専門と教養の学生が混在する授業の場合、試験日でのアンケートは、ハッキリ言って試験実施の邪魔である。

 

 午前11時ごろから大学に来て講評会の準備のため、パソコンで資料を作成し、はやめに教室に向かいパソコンをセットしておく。確かにこの1年間、教養事務の曾田さんにはいろいろお手数をおかけしたが、共通棟のパソコン環境は旧式なものを新式で弥縫策的に対処しているだけなので、わたしのパソコンが使用できない。せっかく、Wi‐Fi環境を整えたのに、学内で無線LAN環境が完備されていなければ話にならない。

 午後2時40分から30分程度、「現代人権論」の時間において学生にアンケートを答えてもらうとともに、成績順位の掲示および模範答案の講評を行う。その後、質問を受け付けた後、追試申請をしてていたY.Kさんの追試を実施する。実は、下記にも書いたようにこの追試はY.Kさんの親友のM.Kさんが、彼女の代わりにわたしに欠席理由を述べて、追試申請をしてくれたので許可を与えたものであった。しかし、許可を出したのに返事が返ってこないのでこの掲示板のニュースに内容をアップした。したがって、その用件を果たしたので余計な記事は早速削除した。通常、本務大学では学生は自分の成績について苦情を申し立てるのであるが、M.Kさんのように友達のため、このようなことをわたたしに伝える学生は少ないので、M.Kさんの存在により、まだまだ本務大学の学生も捨てたものではないと見直した。これは授業中にわたしがよく言うのであるが、「大学は勉強するだけではなく、生涯の友達をつくるところ」であるという理念と合致し、Y.KさんはM.Kさんというよい友達を持てたという証である。彼女は1時間で答案を書いてくれたので、先の封筒に保存したアンケートを事務に届けてもらって無事、本年度の後期「現代人権論」の講義は終了した。後は、彼女の成績を加えてLive Campusに成績を入力してしまえば手続きも完璧である。

 午後4時20分から30分程度、「法学概論」の時間において上述のような順序で成績順位の掲示および模範解答の講評を行う。この時間は、院生の川又くんにパソコンの設定および画像映写を助けてもらう。この場を借りて、川又くんありがとう。模範解答の講評も順調であり、追試申請もなかったので午後5時半過ぎには全授業を終了することができた。アンケート用紙は、川又くんに学務事務所に届けてもらった。わたし個人としては昨年度「D」評価を与えた学生が奮起して、その大半が好成績を修めてくれたことが嬉しかった。

 午後6時半過ぎに、タクシーにで自宅マンションに帰宅。郵便を確認すると、畑尻編集長から『ドイツの憲法裁判 第二版 』の第二校の原稿が送付されていた。しばらくは、この校正に本腰を入れてかからなければならないであろう。

 明日は、共済病院で定期健診なので翌午前1時には就寝した。

節分

2013年02月03日 18:52

 2月3日の備忘録。

 今日は以下の4本のDVDを観て、休日を過ごした。午前中は、清掃業者に部屋を掃除・殺菌してもらうために駅前でウインド・ショッピングしていた。したがって、映画を見始めたのは午後2時過ぎから翌午前2時過ぎまでということになる。

  ①「市民ケーン」

 

 バラのつぼみの意味を探る新聞記者が、C.F.ケーンの生前に親しかった人物にばらのつぼみの意味を訊ねてまわり、回想シーンでオーソン・ウェルズ演じるケーンの栄光と挫折を描いていくのだが、結局、その意味が分かる人物はおらず、財産処分でみすぼらしい雪ソリである「ばらのつぼみ」はむなしく暖炉で焼かれてしまうというラストで終わる。オーソン・ウェルズは、この映画をウィリアム・ハースト批判のために作ったと言われているが、それならばどうしてケーンを新聞王に設定したのか、という疑問が氷解する。いずれにせよ、金持ちの孤独な生涯を描いた作品である(ウェルズは「失楽園」を描きたかったそうだ。そうであれば、純真無垢な子供時代と孤独な独裁者になった晩年とのコントラストが明確になる。雪ソリは子供時代の象徴ということか)。最後の倉庫のシーンを、「レイダース」がパクっていると思うのはわたしだけか。欧米の映画を見ていて感じるのは人生観、あるいは愛についての考え方がわれわれと異なるということである。すなわち、自己愛についてである。これはテレビ版「けいおん!」のエンディングや後述する「クレオパトラ」の中でのクレオパトラのセリフからも、読み取れる。

 

 ②「映画 けいおん!」 

 アニメ映画は劇場で観たのは「名探偵コナン 迷宮の十字路」が最後であると思うが、それ以前は池袋の映画館が夏休みにオールナイトで特集を組んだアニメ作品はそれなりに観ている。実は、わたしはガンダム世代ではないのでガンダムはこのような映画祭で劇場版を観ただけである。「ヱヴァンゲリヲン」もそうである。したがって宮崎駿作品、川尻善昭作品、りんたろう作品等は本務大学に赴任前にほとんど観たが、赴任後は学生とDVDを借りて観るぐらいである。世に「けいおん!!」論争というものがあって、4人組があずにゃんを残して同じ大学に進学するのはだめであるか否か、が議論されているようであるが、この「けいおん!」を観るようになったのはエンディング・テーマであるDon't say “lazy”の歌詞が気に入ったからである。2度目の入院中に上映され、DVDは購入していたから続けて観た。

 「自分を愛せなきゃ 人も愛せない~」

 わたしは自己愛のない人間に他者愛が発生するとは思えないので、この歌詞は意味深である。

 この映画のストーリーは、卒業旅行でロンドンに行って、後輩のあずにゃんに贈る歌を作るという他愛もない話である。しかし、さわちゃん先生のVCがデジキャラットなのは笑える。

   宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」、「天空の城ラピュタ」および「となりのトトロ」

 

  

   

    川尻善昭監督の「妖獣都市」、「獣兵衛忍風帖」  および「魔界都市新宿」  

  

   

    

  りんたろう監督の「幻魔大戦」、「迷宮物語」および「火の鳥 鳳凰編」    

 

  

     

 

 ③「英国国王のスピーチ」

 

 現エリザベス2世の父親ヨーク公、後のジョージ6世が吃音症であったとはこの映画ではじめて知った。こちらは、慈父としての国王の国民に対する、与える愛が問題となっている。それと、師弟愛、夫婦愛が描かれている。兄エドワード8世がシンプソン夫人と結婚して退位し、その後継者になるわけだが、対独戦を意識してアルベルトのファーストネームでなく、ゲオルグことジョージを選ばされることは豆知識となった。

 

 ④「クレオパトラ」

 10年前には、5,000円はしたソフトが999円で販売されているとはショックである。愛の話で締めくくるのなら、この映画でクレオパトラがアントニウスに言う「愛に愛してはダメ」ということになろうか。追記として、オクタビアヌス役は先に書き込んだ備忘録のように「フライトナイト」のピーター・ビンセント役の俳優である。

(追記)

 DVD化にともない、「フライトナイト2」の日本語版ソフトはなくなってしまった。たまたま、YouTubeを見ていると英語判がUPされていたので追加する。

 https://www.youtube.com/watch?v=TlHEtcOTEZE

 

 

 最後に、「愛」はギリシア思想を継受したキリスト教によって以下の4つに分類される。

 ①ストルゲー (στοργή):家族愛

 ②エロス(έρως):性愛

 ③フィーリア(φιλία ):隣人愛

 ④アガペー(αγάπη):至高の愛

 

(追記1)

 アントニウスの死後、初代ローマ皇帝になったオクタビアヌスことアウグストゥスは家庭には恵まれていなかったという。そのオクタビアヌスが臨終の席で、知人にいった言葉が洒落ている。「私がこの人生の喜劇で自分の役を最後までうまく演じたとは思わないか?」、「この芝居がお気に召したのなら、どうか拍手喝采を!」

 まさに、この臨終の言葉こそ石川健治氏の指摘する〈私〉、〈ペルソナ〉を論じる際に、考慮に入れておかなければならない点である。人の人生を舞台と考え、その生を仮面(ペルソナ)を被りながら演じ続けることこそPersonlichkeitの語源であるなら、オクタビアヌスはその仮面を被り続けていたということになる。キケロを政敵としながらも、その著作を高く評価し孫たちにその著作を読むことを薦めたと言われる点に鑑みると、オクタビアヌスこそは石川氏の言う「鉄仮面」を被り、その生涯を全うしたと言える。そうであるならば、政治的能力においてはジュリアス・シーザーに及ばず、軍事的才能においてはアントニウスやアグリッパに及ばぬ彼がローマ帝国初代皇帝になれたことも分かる。そして、樋口陽一先生や石川氏の「強い人間」像とは、この人が被らざるをえない複数の仮面の一側面を示しているのではなかろうか。しかし仮面を被っても、『ガラスの仮面』の主人公・北島マヤではない、われわれはの多くは内面においては「弱い人間」の仮面を捨てきれない。この議論は興味の尽きないところであるが、以上の私見を示すことで終わりにしたい。

  

  

  クレオパトラの輪廻転生を描いた話が収録されている星野之宣『妖女伝説』。わたしはテオジストであるが、輪廻転生は信じていないのでフィクションとして素直に楽しめた。

(追記2)

  このホームページの訪問者にはいないと思うが、意外と「ラピュタ」は宮崎駿が創造し、「ヤフー」はYahooが創造したと勘違いしている学生が多い。スイフトの『ガリヴァー旅行記』はイングランドとアイルランドの政治史を学ぶのに格好の素材であるが、それよりもまず「ラピュタ」も「ヤフー」も『ガリヴァー旅行記』を典拠にしている。この本は以下の4篇から構成されている。

 

  • リリパット国渡航記
  • ブロブディンナグ国渡航記
  • ラピュータ、バルニバービ、ラグナグ、グラブダブドリッブおよび日本への渡航記
  • フウイヌム国渡航記←ヤフーの国とフウィヌムの国

  

   

 10年程昔、わたしのゼミで『ガリヴァ―旅行記』を読んでいた時、ゼミ生だった大藤くんがラピュータの支配にバルニバービの住人が一揆を起こすのならば、磁石で浮遊しているラピュータの磁力とバルニバービの地下のアドマントに据え付けられた磁石の磁力を同極にし、磁力を強力にすれば、その反発でラピュータは地球外に跳ばされるのにと言ったのには感心した。たしかに、ラピュータは飛行石で浮遊しているのではないから、この指摘は科学的に正しい。わたしの赴任した当初は、このような気転のきく学生が多かったが、ゆとり世代以降、そのような学生は少なくなってしまったように思える。

 

   それとの関係で、面白い記事を発見!

デス・スター建設のための資源や資金を確保し、2016年までに建設を始めるべきだという請願に対する、ホワイトハウスからの公式回答

米国政府も、請願者の皆さんと同様、雇用創出や防衛力強化を望んでいます。しかし、デス・スターを建設する計画はありません。以下にその理由を述べます。

・デス・スターの建設費は85京ドルを超えると推定されています(日本語版記事)。政府は財政赤字を拡大するのでなく減らそうと努力しています。

・政府はひとつの惑星を吹き飛ばすことを支持しません。

・「1人乗りの宇宙戦闘機1機だけで破壊されうる」という根本的な弱点を持つデス・スターに、人々が納めた多額の税金を費やす利点があるでしょうか。
 

学生対応が煩雑で疲れてしまう

2013年02月02日 16:54

 2月2日の備忘録。

 このホームページは本務大学の学生のためではなく、他の学際的同志と語り合うオープン・スペースを構築するために開設されたものである。しかし、わたしが担当している教科の関係もあり全学的な学生と連絡を取らなくてはならず、メールでの個別対応が煩雑なのでこのホームページの存在を教えたところ、やたらと質問なり、手続き申請のメールが入ってくるようになってしまった。これに、公開授業なので社会人の受講者も加わり、その返信にも追われることになっている。本年度は、オフィスアワーにはほぼ欠かさず研究室で待機しているのに、このような便利なホームページを作ると学生はフェイス・トゥー・フェイスではなく、メールで用件を済まそうとするので厄介である。いずれにせよ、このような状態は試験前後だけに見られる現象なので2月いっぱいがヤマであると思う。そんなこんなで午後5時現在、学生からのレポートおよび追試に関する問い合わせ、集中講義の受講申請および受講取消申請のメールに対処しているところである。

 しかも、こちらがレスをしても返事がない学生ためニュースの記事にその内容をアップしているので、プライバシー保護の観点から一定の期間を経過したらその記事を削除していかなければならない(本当は、メールのやり取りをアップしたら証拠になるというメリットになるのであるが)。これもまた面倒と言えば面倒である。今日もひとつ連絡がついたのでニュースを1件削除した。こちらとしては、東京大学の林知更氏の日記、熊本大学の大日方信春氏のブログ+九州大学の南野森氏のホームページ+木村草太氏の質問受付型ブログを参考にして、総合的なホームページの作成に従事したいのであるが、なかなかそれも難しそうである。なにか愚痴になってしまったが、上記の4氏は実名でホームページを公開しているが、これはなかなか勇気がいる。このホームページにはカウンターが付いていないが、兄弟分のホームページでは1日40人前後の訪問者がいるので訪問者恐るべし。(ここまで、午後5時半の書き込み)

 林知更氏の日記

   https://www3.plala.or.jp/verfassungslehre/tagebuch.html     ←愚痴が多く、職場批判も多いがそれを許す東大の度量の広さが分かるとともに、よくホンネを語ってくれたとかげながら応援している

  大日方信春氏の日記        

 https://www1.bbiq.jp/obinata/     ←氏の人柄が出ていて読んでいてほのぼのしてしまう

  南野森氏のホームページ

 https://spminamino.web.fc2.com/ ←個人的にはゼミ生の出身高校等をアップするのは「?」である

 木村草太氏の質問コーナー?

  https://blog.goo.ne.jp/kimkimlr   ←なにか、予備校の先生が生徒の質問に丁寧に回答しているような感じがするが、このような親切な回答を無償でおこなう熱血指導には正直感心してしまう

 ところでお疲れ会幹事からのメールによると、メインディシュで鴨肉料理を希望する学生が8名で、白身魚料理を希望する学生が1名という誠にアンバランスな配分になってしまった。わたしは最初から鴨肉料理なので、このままでは1人だけ白身魚料理ということになってしまう。ま~、希望を聴けと言ったから正直に答えたのであろうが、お店に電話するわたしの身にもなってもらいたい。このように、なかなか大学教員も大変なのである。配分に関してはゲーム理論の話をすでにかなり書き込んだが、SF小説においてひとつのものを1対1の配分をもって処理すること(椅子取りゲーム)の残酷さを描いた次の2作品を挙げておきたい。

 

  

  最後に一昨日、利休や作動の話をしたが熊井啓監督「利休―本覚坊遺文―」を列挙していなかったので追記する。

   

  この映画を失念したのは、まず本覚坊が架空の人物であったことと、奥田主演の「棒の哀しみ」というやくざ映画と二本立てで多摩パルテノンで観たからである。「坊」と「棒」を掛けているのか、奥田主演の映画だからか、なぜか二本立てで上映されていた。ちなみに、前者の原作は井上靖氏で後者の原作は北方先輩である。

  

とうとう2月に突入

2013年02月02日 02:42

 2月1日の備忘録。

 完全に、昼と夜とが逆転している(「絶対運命黙示録」ではない)。

 

 ましてや、綾里千尋が成歩堂龍一に「なるほどくん、こんなときこそ発想の逆転よ」と真宵ちゃんに憑依してアドヴァイスを送っているわけでもない。ただ、午前7時ぐらいまで寝られずにお昼近くまで寝ているという不健全な生活を送っているだけである。

  

 午前、午後に本務大学のメールに目を通し、自宅でできる書類書きはきちんとしているのであるが、本格的な活動は午後3時過ぎからスイッチが入るという状態である。とりあえず、このホームページを作成しているからいろいろな知識を確認するために本を読んだり、メモ書きをしたりしているという感じで1日が過ぎていく。

 一応、金曜は在外研究日なので本務大学に行かない日なのであるが、こんな時に限って主要私立大学が入試期間に突入するので研究会や学会がない。とりあえず3週間後、多摩で研究報告をするので位階についての研究をまとめておく必要がある。一応、ロマーノの本は手に入ったので、ケルゼンと並行して読むことにしたい。

 というわけで、わたしとしては久しぶりに短い備忘録でお休みすることにする。おやすみなさい……。

(追記)

 一応、『法制史研究』第63号の投稿締め切りは2月25日なので、今月の目標としてその原稿をまとめるということも考えられる。しかし2年前、大阪大学の三成氏から掲載許可を得ながら、6月に入院したために校正稿を出せなかった経験があるので、現在たまっている校正原稿の数を考えるとあまり無茶はしない方がいいかもしれない。ここは、来週火曜の定期診断の結果待ちになりそうである。とりあえずは、早稲田大学の浅古研究室のメルアドだけメモしておこう。

hoseishikenkyu@list.waseda.jp

 

aurore de la vie

2013年02月01日 19:20

  1月31日の備忘録。

 午後1時前後にタクシーで本務大学に向かう。タクシーから降りるとき、三井住友銀行から携帯電話でVISAカードの申請の審査が通ったとの連絡があった。

 

 午後2時頃、内藤クリニックに定期健診に行く。しかし、混雑しているので診察券を出して予約を入れ、午後3時まで本務大学で雑務をこなしてから再度、内藤クリニックに行く。内藤先生とわたしの父親は同い年で結構話が合うが、年末に薬を2か月分処方してもらったので、遅ればせながらの新年の挨拶を行う。ここにきて、また入眠障害がぶり返してきたので、今年も宜しくとは必ずしも言えないが、ま~先生の顔を見るとホッとする。

 午後3時半過ぎに、大学生協の散髪屋さんに行っておばちゃんにいつものように髭の手入と洗髪をしてもらう。ちょうど、入れ替わりに英語科の並木先生が入ってくる。

 午後4時20分から、4時限目の「憲法と社会生活」の最終講を済ます。とはいっても、原則的にゼミ発表用のレジュメをレポート化したものと、先週観た「博士の異常な愛情」の感想文を提出させるだけで、後は雑談とお疲れ会の話で終わりにした(きちんと、小川くんは先週貸したDVDを返却してくれた)。

 久しぶりに帰りはバスで駅前まで帰り、駅構内の吉野家で夕食をたべてから自宅マンションに帰宅。

 バスで帰宅途中、お疲れ会幹事の塚原くんからaurore de la vieの予約が取れたとのメール連絡があったので、まず帰宅後、パソコンで店の情報をみてから電話をかけてメインディシュなどの具体的内容をつめる。そして、その詳細を塚原くんにメール連絡し、参加者全員にその内容を伝えるように連絡する。

 

 しかし、相変わらず入眠障害は治らず―薬を飲めばいいのだが、飲まないためか―、結局翌午前6時まで寝られず、近くのデニーズで朝食をたべてから薬を飲んで午前7時過ぎに就寝。知らないうちに、もう2月になってしまった。

 

 

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