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採点(2)とDVD観賞

2013年01月31日 13:10

 1月30日の備忘録。

 昨日に引き続き、月曜に実施した「法学概論」の期末試験の答案を採点する。その結果は、以下のようなものである。

 下記の「現代人権論」と同じ理由で、成績上位5名をここに掲示して表彰することにする(この掲示については、あらかじめ授業で告知した)。

1位 中山佳紀くん、田辺亮くん 93点

3位 星野莉奈さん 91点

4位 川又大生くん、松井康太くん、鈴木雅輝くん 90点

 今回の成績に誇りをもって、他の科目の試験でも頑張ってもらいたい。また、ここには掲示していないがA評価でも絶対に不合格にならない模範答案を書いてくれた学生が数名いたので、これはわたしの所属教室の学生が受講者の大半を占めるとはいえ、素直に喜びたい。ここが難しいところなのだが、模範答案は絶対に不合格にならないが、反面、個性が出ないのでS評価には至らないな(まるで、優性遺伝子のような感じがする)。ただし、資格試験などではホームラン答案を狙うよりは、こちらの方が堅実な勉強法なので多くの学生はS狙いよりはA狙いでいった方がよいかもしれないと最近思うようになった。

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模範解答

課題2 平等原則の「合理性の基準」の目的テストと手段テストとの関連で、仮に動物愛護という目的から現在における新生類憐みの令ともいえる法律が国会で成立し、その罰則規定において人間以外に動物に加害行為を加えた場合、死刑を含める重罰が科せられると規定されていたとするならば、この法律は合憲か違憲かを論理的に論じなさい。

 

法学概論 △△学部◎◎専修  学籍番号☆☆☆☆☆☆☆ 田辺亮

一.元々江戸時代に生類憐みの令を出すこととなった背景に、徳川五代将軍綱吉はその目的として「殺生を慎め」ということを第一原則として挙げていた。当時は武士の身分は帯刀を許されており、己の判断のままに「切り捨て」することができたので、そうした血気盛んな武士などの民衆に対して命の尊さをこの法令を通して訴えかけたのである。(まあ将軍が愛犬家だったという単純な理由もあるとは思うが…)これだけを考えると、この法律自体の目的としては何ら理にかなってないとは言えない。しかしここで挙げるべき問題点は、この法律が死刑を含む刑罰付きであるということだ。この法律の合理性の基準として、果たしてこのことは正当であるかどうかを考えてみる必要があるだろう。

二.まず現在の日本にはこれに似た法律が存在しているのかを考えてみる。それには「動物の愛護及び管理に関する法律」とよばれるものが当てはまるだろう。この法律は一般に「動物愛護令」と呼ばれる。この法律の目的とは「生命尊重、友愛及び平和の情操の滋養に資する」というものであり、生命遵守という点では「殺生を慎め」という目的を掲げた生類憐みの令と同列に扱われるものであると考えられる。ここから動物愛護令と生類憐みの令の違いについてみていきたい。動物愛護令についての罰則は第44条にもとづき、1年以下の懲役または100万円以下の罰金となっている。それに対して生類憐みの令についての罰則は最大で死刑である。つまり、この2つの法令では罰則が大きく異なっているのである。次に範囲についてだが、動物愛護令は飼育動物が主体となっているのに対して、生類憐みの令ではその対象が魚、貝、昆虫にまで及んでいる。罰則と範囲、この2つが動物愛護令と生類憐みの令に大きな差を生む要因となっている。

三.では、この生類憐みの令は合理性の基準にかなっているのかを考えてみると、必ずしもそうとは言い切れないだろう。問題はその罰則の程度にある。動物や昆虫に対して傷を負わせることで死刑にまでなってしまうと考えるのは、万物が平等であると考えても、やはり動物、さらには虫までも人間と同列にして扱うのはさすがに無理が生じるのではないか。人間と同じように注意して行動するわけではないので、例えばカエルを誤ってひいてしまったり、体の機能が異なるので飼っていた犬を病気にさせてしまうことも可能性としては十分にあり得る。それら全てのことが生類憐みの令の下に死刑にされてしまうのかどうかの嫌疑にかけられてしまっては、それこそ「生命の尊重」とは何かという疑問が出てきてしまう。以上から、この法律は今の生活のなかで取り入れることには無理が生じるであろう。よって合理性の基準となる規則の必要性や合理性、同じ目的を達成できるより緩やかな規則の有無の観点において、生類憐みの令の原則は「国民一人ひとりが国家との権利・義務の関係において等しく扱われなければならない」とのことなので他の生き物に関しては掲示していないことから、人間と同列で扱うべきということは考慮していない。

四.一説には、生類憐みの令が元になって今日の日本で適用されている動物愛護令が生まれたという意見がある。一般に「天下の悪法」とまで言われることとなった生類憐みの令であるが、日本で初の生命を尊ぶことを目的とした法となったためにここから刑法の殺人罪や、児童虐待防止法が生まれ、現在の法律として存在しているとも言われている。素晴らしい目的の下で生まれる法律であっても一歩その基準を間違えれば人々に受け入れられないものになってしまう。目的が同じであるならば、より現実的な手段、合理的な基準で法律を作るべきではないだろうかと考える。

                                                                                        -以上-

 

  おそらく、法学部法律学科の教員ならばこれで最優秀答案なのかと疑問を持たれるかもしれない。しかし、わたしの担当は教養教育ないし社会科教育での法律学講義である。さらに、上記の問題は「悪法も法なりや?」という所謂「ラートブルフ定式」の問題ではないか、あるいは日本法制史の問題ではないかという批判があるかもしれない。このような疑問や批判をとなえられる方は、ハッキリ言っていまの大学に就職できたことを天に感謝してもらいたい。細かい法律論など展開すると、少なくとも本学の中では完全に浮いた存在になりますヨ。「ラートブルフ定式」については、わたしの『自治研究』に掲載されたドイツ連邦憲法裁判所の「壁の射手」判決の判例評釈を見ていただきたい(後にドイツ憲法判例研究会編『ドイツの憲法判例Ⅲ』に収録)。さらに詳しくは、足立英彦氏の東北『法学』に掲載された論文、Nomosから出版されている博士論文が有益である。

 なお、平等条項については木村草太氏の下記のモノグラフィーが最近出版されたもののなかでは、―異論は当然あるが―一番問題触発的であると考えられる。

 但し、反省すべきなのは最高裁が法令違憲判決を下しても、なかなか立法府によって当該条項が改正されないまま放置されることはぐらいは受講生に理解させるべきであった。

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 午後から、ヤマダ電機で先日書き込んだようにWi-Fi環境を整えるために下記L04Dを購入。しかし、接続までの手続きに時間がかかったために、店内で時間を潰していたらドイツ語の電子辞書がかなり安くなっていたので貯まっていたポイントを使って、下記の電子辞書を購入。 

  それでも、まだ時間が余ったのでDVDコーナーで以下の三つの日本映画のDVDを購入。おおよそ、2時間半程度ヤマダ電機で時間を過ごした後、自宅マンションに帰宅し、先のDVDを下記の順番で午後5時から翌午前2時までかけて観賞。

 ①「テルマエ・ロマエ」                                                                                                   

  これは珍しく、原作のコミックを読まずに観た映画であるが、阿部ちゃんが濃い顔をしているので古代ローマ人ルシウス役をやっても違和感があまりなかった。一応、エンドロールでこの映画は東京大学大学院人文社会系研究科の監修を得ているのには驚いた。上戸彩が『ローマ人の物語』ではない本を読んで、五賢帝時代を勉強し、発音がイタリア人ですら明確でないラテン語を薄っぺらい参考書で完全にマスターしているところはご愛嬌か。わたし自身はハドリアヌス帝の後継者を忘れていたが、高島政宏の演じていたアントニヌスがアントニヌス・ピウス帝であることは途中で思い出した。しかし、コモドゥスの名を持つ皇帝継承者は「グラディエーター」をはじめとして暗愚な人物が多い。もう一回、塩野先生の『ローマ人の物語』を読み直すか。

 Marcus Cocceius Nerva

 Marcus Ulpius Nerva Trajanus

 Publius Aelius Traianus Hadrianus

 Titus Aurelius Fulvius Boionius Arrius Antoninus Pius

 

  Marcus Aurelius Antoninus

 

 

 皇帝の胸像を観ていると、ピーター・グリナウェイ監督の「建築家の腹」を思い出した。わたしが学生時代、彼の作品である「コックと泥棒、その妻と愛人」、「英国式庭園殺人事件」、「プロスペローの本」および「ヘビー・オブ・マコン」などを銀座や渋谷の映画館で観た。これらの映画音楽担当がマイケル・ナイマンで、彼の演奏会を聴きに多摩パルテノンに行ったことも懐かしい。個人的には、グリナウェイ作品では「ZOO」が好きである。ちなみに、「料理の鉄人」の挑戦者の紹介のときに流れていたBGMは「ZOO」のTime Lapse(https://www.youtube.com/watch?v=aui92OsawRY&list=PLEE15F0799DD274C1)で、審査時間に流れていたBGMはナイマンの「コックと泥棒、その妻と愛人」のテーマ(https://www.youtube.com/watch?v=ZG_-iTyQdog)であった。

 

 ②「武士の家計簿」

  去年まで本務大学にいて、わたしが闘病中に他の大学に移籍した磯田道史氏の原作を元に映画化された作品。この映画の内容はそれなりに面白いが、本来的には本務大学の看板教員になるはずだった磯田氏のエクソダスの方に関心がいってしまうのはわたしだけか。わたしにとって、森田監督は「家族ゲーム」ということになる。配役で気に食わなかったのは、大村益次郎役の嶋田久作である。全然、キヨソーネの肖像画とかけ離れた顔立ちだし、嶋田といえば「帝都大戦」の加藤保徳の印象が強すぎる。

 

 森田監督と言えば、この「家族ゲーム」のワンシーンである。これはダ・ヴィンチの「最後の晩餐」と同じく、このような横一列でご飯をたべることはまずない。もっとも、このテーブルの向こう側に大画面プラズマTVでもあれば別ではあるが、時代的にそんなものは存在しない。

 

 

 

 荒俣宏氏を一躍有名にした『帝都物語』の映画化。魔人・加藤保徳を文庫表紙イラストを描いていた丸尾末広らの絵からは想像できなかったが、嶋田久作が加藤を演じきった。映画的には、「帝都大戦」の方が好きである。

 

 「切り裂いた闇が吠え 震える帝都に~」

 どう考えても「帝都物語」の二次創作、女の子ヒロイン・ヴァージョンの「サクラ大戦」。でも、『帝都物語』にも辰宮母娘が出てくるんだな。

 

 ③「利休」

 勅使河原宏監督版の「利休」を20年ぶりに観た。勅使河原監督と安部公房氏の組み合わせの映画は難解で、いくつか観たがさっぱり分からない映画であった。それに比べれば、この映画は冒頭の一つの朝顔の花以外を除いて、他の朝顔の花を切らせるシーンは分かりやすい。個人的には、この作品と「豪姫」を観て「へうげもの」を読むなり、観たりするのが侘び茶を知るのに有効だと思う。

 

 この映画の見せ所は、家康に切腹を命じられた仲代演じる古田織部が辞世の句を読むところ(「いふならく 奈落の底に入りぬれば 貴人も下人も変わらざりけり」)。この映画にインスパイヤーされて、マンガ『へうげもの』やアニメ「へうげもの」を読んだり、観たりしてしまうんだな。わたしにとっては仲代達也は「二〇三高地」の乃木希典か、この「豪姫」の古田織部か、あるいは「金融列島」のACB銀行名誉相談役が当たり役だと思う。やはり、黒澤映画だと三船敏郎の代役の感を免れない。

 

 

  『へうげもの』の最大の欠点は、女性に魅力的な人物が登場しないことである。

 病気で入院中、小林恭二氏の本を古本で20冊ぐらい購入して、退院後、自宅で静養していたころ読み直してみた。ま~、この程度が茶道初心者には適当な本かなと思う。親戚の女性陣はお茶の先生が多いのに、わたしは飲み方も自己勝手流である。ただし、この本で知ったのであるが茶席で酒を飲んでも礼儀に反しないとは……。

 恐れ入りました。

採点

2013年01月31日 02:30

 1月29日の備忘録。

 昨日は、ほとんど試験の採点をすることなく就寝したので、今日から「現代人権論」および「法学概論」の試験を採点しはじめる。

 全体的に、みんな答案はよく書かれていた。不合格になったのは、形式的基準である答案用紙の90%を埋められなかったか、章立てが明示的にきちんとなされていなかったかのいずれかである。

 個人的には、勉強とは切磋琢磨してお互いに向上するものであるで、成績表を掲示板に貼りだし、模範答案も開示すべきものであると考えるが、この中には当然、不合格者も数人いることに鑑みて成績上位5名の名前を挙げて表彰するものである(その掲示については、授業で予告した)。

 1位 井内義浩くん 95点

 2位 北崎未来さん 93点

 3位 関根法子さん 92点

 4位 宮阪雪菜さん、野藤千聖さん 90点

 この受講者数で5名もS評価を付けていることから分かるように、わたしの試験はそんなに難しい試験ではない。ただし、他の先生と違って試験ができなければ、いくら通常点がよくても不合格を付けるので、落とされた学生がデマを流していると思われる。そうであっても、この5名の答案は本当によく書けていました。今後もこの調子で頑張ってもらいたい。

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模範答案

課題1 功利主義によって人権を基礎付ける場合、「人間の尊厳」の原理とって不都合なことはないのか、具体的事例を挙げてその可否を論じなさい。

 

現代人権論 △△学部◎◎専修  学籍番号☆☆☆☆☆☆☆ 井内義浩

一.本来、人間は、人間が神の似姿に造られているから、あるいは人間には生まれつき「人間の尊厳」がインプットされ兼ね備えているという前提から、すべての動物のトップである万物の霊長としての人間だけが権利を持つことができるという理由付から構築されている。この理論によって私たち人間は、自分たちより劣った動物を食べることができる。アリストテレスの「性質説」を取り上げると人間は牛肉を食べていく性質を持ち、牛は逆に人間の胃袋に納まる性質を持っているから食べられるということになるが、「性質説」を用いると人間においても生来的に「奴隷」の性質を持っているものが「奴隷」だという人権差別の要素を含む身分社会を肯定することになるために、この説は採用できない。

二.それによって、「人間の尊厳」を発展させて、人間だけが理性的に判断して行動ができるという理性万能主義に徹底してしまうと人間は他の動物に比べて知性が高いため生命を含めて支配とてよいということになり、別解釈をすると、知能指数が高いクジラやイルカは権利を持ち支配することができず、知的障害者は健常者に比べて劣っているため差別をしてもかまわないということになり、それは第二次世界大戦下の日本やナチスの人種法などの人権の普遍性を侵害する法として現われてきてしまうおそれがある。

三.人間たるホモ・サピエンスの人権を一律に「人間の尊厳」に求めたとして、これが通説的見解で止まってしまうのは、現在のところ地球上の生物の中では人間より優れた動物がいないからである。ロバート・ノージックのように、地球外から人間よりずっと優れた宇宙人が襲来して侵略した場合、これらの論理は崩壊してしまう。ジェレミー・ベンサムの「最大多数の最大幸福」に要約される理論における功利主義の考えを用いるならば、我々人間たちは食べられる動物たちの不幸よりも、動物を食べて感じる人間たちの幸福の総計の方が大きいならば道徳的となる。この功利主義を貫くならば、上記で述べたように人間より優れた宇宙生命が地球に襲来し、人間を食べ侵略した時に、圧倒的な科学力を持つ宇宙人が「お前達人間が劣った動物たちを食べるように、我々も劣ったお前達を食べる」と主張した際には反論は不可能である。

四.また、生命体における集合ではなく、人間に功利主義を限定したとしても常に都合が良いというものではない。完全たる功利主義を通す場合、ある健康体である人物が何らかの事象の結果、脳死状態となった場合ドナーカードや親族によるインフォームド・コンセントがなくても、必要とする患者が存在すれば、その人物は解体されあらゆる臓器を提供し、必要があれば角膜、骨髄に至るまでのありとあらゆるものを即刻提供することになる。それは、“脳死状態にある人物の解体に対して臓器提供等を受ける患者達の授かる幸福の方がはるかに勝る”と理論付けられるからである。

五.したがって功利主義に人権を基礎付ける場合、最大多数の最大幸福という考え方は、全体主義的な思考に偏ることが予想でき、個人の尊厳を確保するのには難しいものとなる。よって、現在において人間よりも優れた動物は存在しないという前提での人間だけを特別視し、動物界における功利主義を採る一方で、人間での基本的人権の理由付においては「神の似姿」論たる一人一人が「人間の尊厳」を持ち、個人の尊厳性は侵すことができないとする基本的人権の位置付けをしている。功利主義を全て否定するわけではなく、人間という種の存在意義は功利的に扱う上で、プトレマイオスのような地球が中心に存在し、地球に神がいるという理論を軸に神の似姿たる人間は最も近い存在であるという考えに徹底した方がこの二つの原理を用いて人間の基本的人権を位置付ける上ではるかに容易で完結する考え方であり、惑わされる必要がないのである。

                                                                                   -以上-

(注意書き)

  若干の修正は入れたが、ほぼ井内くんの答案をそのまま掲載した。そのために、最後の部分の日本語は少々理解しずらいところとなった。さらに進んだ功利主義の学習として、以下に挙げる安藤馨氏の著作を読むべきであろう。もっととも、安藤氏の見解はわたしとほとんど相容れないものである(なお、わたしの見解はこのホームページにアップした『国法学講義ノート』第5講を参照のこと)。しかし、学問というものは違った見解も知ることにより展開するものであるから、訪問者でこの議論に興味を持たれた方には一読をお薦めする。

 

 

 

 

  このホームページの訪問者はハーバード大学の法哲学教授と言えばマイケル・サンデルの名前を出すであろうが、わたしが学生時代にはハーバード大学の法哲学教授と言えば二大巨星のジョン・ロールズとロバート・ノージックであった。特に、ノージックの論文はわたしの学位論文が国家の権力独占と私人間効力をテーマとしたものであたので、『アナーキー、国家、ユートピア』はよく参照させてもらった。わたしの既発の論文では1本を除いては、引用もされていないがドオゥーキンとともに学問的バックボーンであることは確かである。前掲書には、例え話で「宇宙戦争」や「マトリックス」と強調する話が出てきて、大学生レベルでも楽しめると思う。大先輩の山下先生が「イェリネック、ケルゼン、シュミット」がドイツ国法学の三大話であると言を借りるなら、わたしにとって「ノージック、ゲワース、ドオゥーキン」が英米法哲学の三大話になろうか。

 

  ジェレミー・ベンサムは修士時代、清水先生のゼミでフランス語版を2年間講読した思い出がある。

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 夕方に、先日のブログで書いたKindleが到着、またWebnodeのバージョン・アップの手続きが完了し、こちらのホーム・ページに戻ってくることが可能になった。Kindleの方は、Wi-Fiで接続しなければならないそうなので、明日、ヤマダ電機にでも行こうかと考えている。実は、一時期スマートフォンにしていたことがあったので、そのままにしていれば問題なく接続ができたのであるが、病気でタッチパネルが上手く操作できなかったので、違約金を支払って元の携帯電話に戻したという経緯がある。

  

  部屋の一角に堆く積まれた本の一部。右側は『へうげもの』などコミックが見られるが、左側は専門書が多いことが分かると思う。本棚に収納できないのは、3年前の震災で本棚が3竿が壊れてしまったことと、上記写真から理解できるように専門書に付箋やメモ書きを挟み込む習慣があるために平積みしてしまうからである。このコーナーは江戸学に凝っていた時期に読んだ本が置かれているので、江戸とか歌舞伎とかついた名前の本が散見される。左側は法哲学関連とフランス革命関連の和書が積み上げられている。この写真では写っていない右側にはイェリネック、シュトロアイス、レプシウス、メーラー、チェンチャー、アフォルター、ロマーノおよびオーリウなどの原書が同じような感じで平積みされている(こちらは企業秘密なのでお見せしません)。わたしは本は捨てない主義であるから、どうしても全部屋がこのような状態になってしまう。それを緩和するために、Kindleを購入したのであるがこの問題は解決するのであろうか。

  それでは、本日の書き込みはここまでということにしよう。

後期試験「現代人権論」・「法学概論」実施

2013年01月30日 00:46

 1月28日の備忘録。

 午前10時半に、自宅マンションで試験問題をプリントアウトしてからタクシーで本務大学へ向かう。

 昨日までは学生として試験を受ける立場であったが、今日からは本務大学の教員として学生に期末試験を課す側に回った。

 週末にメールで教養教育の曾田さんから人文学部の4年の学生で、来月の18日から20日までのわたしの集中講義の「日本国憲法」を履修したい学生がおり、受け入れ可能かどうかのメールの問い合わせがあったが、この学生には履修許可は出さないことにした。そもそも、誰が好き好んでこの時期に集中講義をしているのかというと、わたしの体調の問題と、所属学部の学生のニーズとの兼ね合いでこの時期にせざるをえなかったからである。本務大学では人文学部が社会科の学生を囲い込んで、わたしに法律科目を教えささない一方で、その他の教養教育の大半を負担させていながら、さらに卒業が危うい学生を押し付けるというのはあまりにも身勝手である。自分たちのお尻ぐらい、自分で拭けないのか。そもそも、このような無茶苦茶なことをしてきたから先代の前田先生は過労死し、わたしも夏休みの集中講義で入院することになったのである。ハッキリ言って、この大学は人文学部の社会科学・人文科学系の先生にとっては楽園であるが、教育学部のそれらの先生にとってはおそろしく忙しい職場である。そもそも、4年生は教育学部でも履修をしてはいけないことになっているのだが、それをどのように解釈すれば、このような要求ができるのか理解不可能である。それに、卒業判定はその1週間前に教授会で承認されなくてはならないはずだから、これはまったくもって怪しからん!そして、この学生が仮に単位を落とし、ごねた場合にはわたしの責任に転嫁しようとしているのは見えみえである。曾田さんにはいつもお世話になっているが、彼女のために人文学部の無理な注文をきくことは、いままで裏切り続けられた経験から無いと判断した。

 ノートパソコンを借りて、午後2時前には4時限の「現代人権論」の試験会場に入室し、試験における注意書きを板書して待機しておいた。問題はニュースにアップした5つの課題のうち、本試験で2つ出題し、得意な方を1題のみ選択解答するというものである。解答時間は90分であるから、書けないということはないのだが、それでも相変わらず落第者が出てしまう。最初にパソコンで出欠をとったが、欠席者が5名前後いたので444をLive Campusに入力して彼らの「欠試」が確定、後は順次解答できた学生に答案を教卓まで持ってこさせて、それをチェックしておしまい。残念なのは1名、わたしの見る限りでは熱心に授業を聴いてくれている学生が十分に答案を書けていなかったことである。その他は、だいたい通常の授業態度から想像していた通りの結果であった。ところで、これが後期の最終講義ではなく、来週はこの試験の講評会で上位5名の成績を公開して、他の学生に他の社会科学系論文の書き方を体得してもらう予定である。

 午後4時20分には、先のノートパソコンを教養教育の事務に返却して、大急ぎで5時限の「法学概論」の試験会場に入り、簡単に板書して4時限目と同じ要領で試験を実施した。この授業の履修者はわたしの所属している教室の学生なので気心が知れているので、あまり心配せずに試験を終了させることができた。しかし、どうしても真面目だと思っていた学生が思ったほどに書けていないなど、こちらでは対処できない問題は残されたように思われる。公開授業なので、聴講していた堀さんも試験にチャレンジしたが、答案の提出は辞退されたので来週の講評会に出ることをアドヴァイスして終了した。

 午後6時半過ぎに、タクシーで帰宅して夕食をとり、メールのチェックやフリーのホームページの選択をしていると、午前2時になったので就寝。携帯電話で実家の母親と話したのだが、母は明後日は小津安二郎「東京物語」のオマージュの「東京家族」を映画館でレディースディなので観に行くそうである。小津の映画については語りたいこともあるが、長文になったのでこの日の備忘録の書き込みはこれでお仕舞とする。(※)少しだけ小津映画の特色を書くと、これは大学時代の友達川北氏や教え子の伊藤くんの言うように、子役がお爺さん・お婆さん、あるいはお父さん・お母さんに対して小憎たらしい態度を撮らせたら超一流であるということである。下の「東京物語」では、尾道から出てきた笠智衆と東山千恵子のお爺ちゃん・お婆ちゃんにお受験が近いから「帰れ」と言わせたりして、小憎たらしいガキを上手く演じさせている。特に、原節子の下にいる弟もお兄ちゃんの真似をして「かえれ~」というシーンは子供の憎たらしさが上手く出ている。

(追記)

  帰宅すると、樋口陽一先生から寒中見舞いが届いていた。先生、ありがとうございます。

 

  

遺伝病とトマス・アクィナス

2013年01月29日 19:43

 1月27日の備忘録。

 昨日に引き続き、自宅マンションの川向のプリンス・ホテルで1月試験を受験しに行く。

 昨日は早めに―と言っても、午前2時に―就寝したのだが、先週のセンター試験の疲れが残っているのか午前7時半まで寝過ごしてしまった。実は、午前6時に起きて「教育学」のテキストの残りを読んでしまおうとしていたのであるが、これでは午前9時半開始の「教育学」の試験時間まで2時間しかなく、頁的には読めるが試験勉強は出来ないとあきらめてヘルバルトのところまで理解を中心に精読する。さいわいこの科目はテキストを定期的に読み、また職業柄、コメニウス、ルソー、ペスタロッチ、カントおよびヘルバルトまでは一応は知っているので、後の部分は過去の記憶の蓄積に頼って午前9時に自宅を出て、会場に歩いて行くと試験場にはすでに監督官の先生が2人待機していた。午前9時半から「教育学」の試験を受ける。内容は、教育学における「エロス的人間像」と、そのアンビバレンツ性について述べるものであった。これについては結果的に成績はどうであれ、昨日の「教育史」の分からなかった部分を読み返したおかげで、それなりにまとまった答案が書けたと思っている。午前11時から、「ドイツ語Ⅰ」の試験を受ける。こちらの方は試験を実施している方にはわるいが、普段の実力試しに受験しているので予習はしなかった。当然のことながら、日常会話に頻出する動詞の変化が曖昧なので、こちらは今後、少し時間をとって勉強しなくてはな~、と思った。

 コメニウス

 

 J.J.ルソー

 

  ペスタロッチ

 

  カント

 

  ヘルバルト

 午後1時半より試験監督の先生の講演会であったので、お昼休みを使って駅南のヤマダ電機に行く。というのも、この新しいホームページを作成するきっかけになったのは、Webnodeの無料ホームページで「国法学研究教室」を開設していたのであるが、月曜日のわたしの試験の課題集をニュースとして大量に書き込んだために制限量をオーバーし、有料のスタンダード版にアップグレイドしたのはよいが、相手方の取引銀行がスイスの銀行であるためにアップグレイドが完了しておらず、あらたな書き込みができないからであった。そこで、貯まったヤマダ電機のポイントでアカデミーパックのホームページ・ビルダー17を購入して新しいホームページを開設しようと考えたわけである(学生割りを使ったか、教員割を使ったのかは訪問者の判断に委ねる)。昨夜、Googleでネット検索をしていたところKindleの書籍でカントの原著、豊島訳の『レ・ミゼラブル』あるいは末広巌太郎『嘘の効用』などが0円だったので、Kindleは買いだと思って駅前の量販店を回るが品切れであった。とりあえず、そうこうしていると時間になったので、会場に戻って2人の先生の講演会を聴く。

11時59分、ヤマダ電機でHPビルダー17ACショセキ W7Dツウシン 9600円を購入。

 午後1時半から、まず小野先生の「遺伝病」についての講演が始まった。小野先生の話によれば、まず優性と劣性、そして優性と優生の区別をしなければならない。これを行わないと、悪しき「優生学のトラウマ」にわれわれが拘束されて、ナチスドイツのような悪夢を再び繰り返してしまう危険性があるということである。そもそも、人間は誰でも遺伝病の保因者であり、それが健康な人にはたまたま病気として出ていないだけであるということで、ラッキーであったに過ぎない。わたしは席の一番前の席に座っていたので小野先生に質問されたのだが、その内容は遺伝病をもって発生する人間の可能性は何パーセントかというものであった。わたしは多めに見て10パーセントと回答したが、小野先生の説明では実に50パーセントは遺伝病をもつが、その多くが流産で流れてしまうので遺伝病者の数が少ないように見えるだけなそうである。また、DNA解析が進むと、個人の遺伝子情報が外部に漏洩する危険性だけではなく、自己決定権を持っていても耐え難い、それを知りたくないというような情報を本人に知らせるべきかどうかという問題が発生することも指摘された。たとえば、進行性アルツハイマーになるということがDNA解析から可能であるが、「あなた、70過ぎると進行性痴呆に絶対なる」ということを冷静に聴けるほど人間は強くないのではないか。最後に、わたしは白人のブロンドや碧眼はアルピノの特性で劣性遺伝ではないか、との質問をしたのであるが、生物学上、白人のそれらの特性をアルピノで説明するのは過去の学説であるそうである。実は、われわれにもブロンドの遺伝子も碧眼の遺伝子も持っており、ただ黒髪遺伝子の陰に隠れているだけなそうである。奇しくも、2週にわたって違う小野先生から生物学についての面白いお話を聴く機会を得た。最後に、小野先生はお土産に京都大学作製のDNAマップをプレゼントしてくれた。

 

 午後3時過ぎ、上枝先生の「スコラ哲学入門」の講演が始まった。上枝先生はトマス・アクィナスを中心に話を進められたが、ここでは以下の2点に絞って書き込むことにする。まず、トマス・アクィナスの手書き原稿のスライドを見せてもらったが、上枝先生の言うようにとにかく字が汚くて判読ができないしろものであった。次に、スコラ哲学者は日本人の理解する信仰とは違う信仰を持っていたということである。すなわち、われわれ日本人ならばアクィナスより近代のデカルトやスピノザの方が脱神学化された議論を展開していると理解しがちであるが、実は後者の方が神と信仰についてのことばかりを議論しているそうである。これ以上は、わたしも法哲学者なので詳しくは書かないが、アクィナスのメカニズム的宇宙観の話が出たので、講演後に上枝先生にホッブズの機械論的世界観で学位論文を書きたいのですが、指導教官の一人として候補にさせていただいて結構でしょうかとお願いしたところ、こころよく了承していただいた。帰宅後、インターネットで調べたところ、上枝先生はわたしが本務大学に助教授で招請されたときに講座長だった森啓先生の後輩であった。本当に、この世界は狭いと実感した。

 

 確かに、トマス先生、これではなにが書いているのか判読できません(一応、ラテン語で書いているらしい)。  

 上枝先生から教えてもらった、トマス・アクィナスのラテン語原典が読めるホームページ

  https://www.corpusthomisticum.org/iopera.html

  帰宅後、ホームページ・ビルダー17でホームページを作製していくが、なんということかこれをネットに載せるためには有料でクレジット・カードがなければならないことが分かった。幻のホームページの扉は以下の第二帝政成立時の画像を貼り込む予定であった。したがって、作業がそれ以上進まず、アマゾンでKindleの注文をして就寝。

臨時政府と科目試験

2013年01月29日 19:37

 1月26日の備忘録。(国法学研究室(第二帝國)より転載)

 このホーム・ページの本館である国法学研究教室のアップ・グレードが遅れているので、こちらのホーム・ページhttps://www4.hp-ez.com/hp/reichをアジール(ἄσυλον)として臨時開設した。日記というものは、やはり3日程度間があくと記憶が曖昧になったり、感動がなくなったりして拙いのでしばらくはこのコロニーのブログに備忘録を書き込むことにする。

 26日は午後1時から午後6時まで、わたしの住んでいるマンションの川向にあるプリンス・ホテルで1月試験を受験した。

 

  まず、午後1時から「社会心理学」の試験を受けたのであるが、これは参照可であったのでどうにか切り抜けることができた。ただし、違う章に跨る問題なので、全体としてその接続が上手くいっているかどうかということで点数差が出てくると思われる。つぎに、午後2時半から「西洋史概説Ⅱ」の試験を受けたが、これは二者択一の問題の中から1問を選択して解答するものであるのだが、19世紀のロシアの社会改革を選択したのは失敗だった。なるほど、アレキサンデル1世→ニコライ1世→アレキサンデル2世→ニコライ2世の社会改革の歴史は改革とその揺れ戻しのファランドール(Farandole)であり、その流れは分かりやすいのであるが、ではデカブリストの乱は誰が皇帝の時に起こったのか、ポーランドの反乱はいつのことなのかといった細かい知識は忘れてしまった。さすがに、センター試験監督から3日で5科目を総復習するのは難しい。最後に、午後4時から「教育史」の試験を受けたのだが、大正新教育運動については沢柳政太郎の教育活動は知っているが、目的ー手段モデルの説明は完全にカントの定言命法の話と型にはめない自由教育の話を書いてお茶を濁した。したがって、この日は1勝2敗といった感触である。しかし、「西洋史概説Ⅱ」は前日の備忘録が午後10時の記述で終わっているように、そのあと徹夜して臨んだだけに残念である。受験生控室で、意気のいい兄ちゃんに「もしかしたら、夏のコミュニケーション論を履修していませんでしたか」と聴かれる。この世の中は意外に狭いものだと感じる。

 

      Aleksandr I

   Nicholai I   

     Aleksandr II

   Nicholai II

 午後5時過ぎには、明日の「教育学」のテキストを読み始めて、午後11時から毎週定例のチャットを覗いたりして午前2時ぐらいに就寝する。本当は、「ドイツ語Ⅰ」の試験勉強もしておかなければならないのであるが、こちらは普段の実力試しに受験するので勉強したら意味がない。

 (追記)

 帰宅すると、東大の宍戸氏のアメリカからの寒中見舞いの葉書が来ていた。宍戸氏の葉書には「アメリカに留学するのはドイツ法研究者仲間から「裏切り者」と呼ばれそうですが……」と書かれてていたが、多かれ少なかれわれわれドイツ法研究者はドイツ法の他に英米法やフランス法をやっているので、それは杞憂であろう。むしろ、外地留学ができる大学に就職していることの方がうらやましい。現段階では、学習院の村山氏がアメリカ留学の2年目、来年度は木原君がカナダに1年留学、そして畑尻さんもドイツに留学ということが年賀状に書かれていたので、一層そう感じられる。


 

眠い……

2013年01月25日 21:40

 1月25日の備忘録。

 昨日、帰宅後2時間ほど仮眠をとったためか、またもや午前6時を過ぎても寝られず、結局朝食の納豆定食をたべて薬を飲んで午前8時過ぎにやっと就寝。午前10時半ぐらいに起きて、少し読書をしてから、本務大学のメールをチェックして、そのいくつかに返信メールを送信し、さらにこのHPのニュースの記事を3件(来週の期末試験の告知)を書き足て、昼食をたべて、ネットサーフィンをしていたら午後3時になったのでお昼寝。ある意味では優雅な生活であると思われるかもしれないが、先週末はセンター試験で土日出勤であり、そもそも金曜は在宅研究日であるのだから当然、この程度の休みを入れなくて消耗してしまう。われわれ大学教員の給与も下がってきたし、ある程度は息抜きも必要ではないかと思われる。これからは後期試験、卒論発表会、集中講義、研究会発表、前期大学入試、後期大学入試と息を抜く暇がない。たしかに、肉体労働も疲れるが、頭脳労働も疲れます。さらに、私の場合には病気が寛緩期ではないので十分に動けない。そういや、学生と食事会に行くことにしているし、謝恩会などもあるから実質休みは卒業式から入学式までないことになる。

 午前5時半から西洋史概説の本を読み始め、途中午後7時に夕食をたべてから、午前9時半までまた続きを読み始める。だいたい、近代国家の成立からアメリカ独立戦争の部分まで読み終わる。しかし、この歳になると細かい年号や名前は忘れてしまうし、覚えられない。たしかに、筋はこれまでの経験から覚えているのだが、論文の執筆と試験勉強はちがうな~。(ここまで、午後10時過ぎの書き込み)

質問コーナー二日目

2013年01月25日 00:52

 

  1月24日の備忘録。

 午前9時前に起床。

 午前11時前に、タクシーにて本務大学に向かう。

 お昼休みから午後4時まで、研究室にて昨日に引き続き「現代人権論」および「法学概論」の受講者の質問時間とアナウンスしていたので、ドイツ語の原書ヘルゲ・ゾーダンのStaat und Bundesverfassungsgerichtbarkeit、2010年を読みながら待機する。質問に来たのは後者の履修生の佐藤友基くんと、公開授業として参加している年配の堀さんの2名だけであった。本当に、この科目の履修生は質問に来なくても、月曜日の期末テストによい点をとれるのであろうか。

 この本の第一章は、「憲法の番人」についてのカール・シュミットとハンス・ケルゼンの対立を簡潔に説明しており、なかなか面白かった。なんといっても、年末までBundesverfassungsgerichtの原稿を書いていたので辞書をほとんど使わずに読めるのが嬉しい。

 佐藤くんの質問は、なかなかわたしに刺激的なものであった。果たして幸福追求権、ないしは経済的自由で「どぶろく造りの自由」が被告人に認められたとして、密造による酒税法違反、酒税法未納付の罪が阻却されるのであろうか。確かに、酒造メーカーには酒造りの自由は認められているが、メーカーは酒税を支払っているのであるから、この後半の部分の問題も考えておかなければ訴訟論としては不十分である。

 堀さんは研究室にお礼で来たようで、わたしが好きならば日本酒をプレゼントしてくれるようだったのであるが、それは辞退した。まず、病気でお酒は控えなくてはならず、私自身、公開授業は地域貢献の一環で無料参加できるものであると考えていたのであるが、どうやら大学は一回当たり500円の受講料を徴収していたことをつい最近知ったからである。昔は無料であったはずなのに、有料にするのはせこいし、そのお金はわたしに一切入らないというところが変といえばへんである。そうであれば受講許可試験はあったが、わたしが一橋大学の聴講制度でゼミに参加したり、単位を貰ったりしたように制度を変更する必要性があろう。もっとも、それを補うのが科目等履修生なのかもしれないが、担当教員にその説明をしないのは横着と言うしかない。

 午後4時20分から、ゼミ形式の授業の最終講としてゲーム理論を学生に理解してもらうために、「現代人権論」と同じようにスタンリー・キューブリック監督「博士の異常な愛情」を上映して授業を締めくくる。来週の試験は、この映画の感想文と、各自が担当した長谷部先生の『憲法とは何か』の報告をレジュメではなく、レポートにまとめることで済ますことにした。授業後、小川くんのDVDを貸してほしいとの申し出に、このゼミでは積極的に授業に参加してくれたので来週まで貸与することにした。ただし、かつて不届きな学生が「バリー・リンドン」や「わが命つきるとも」を借りたままで卒業し、ペスケのマスターは「モンティ・バイソン ドイツ版」を返さないままで転居したりするなど、すでにここ10年に20本以上は行方不明のDVDがあることを指摘しておきたい。ひどいのは、人文学部の学生に大日本帝国憲法制定史をテーマに卒論を書くので、研究室分置図書を貸してほしい旨の申し出に気軽に応じたところ、それを返さずにその学生が卒業したために大学から管理責任者であるわたしに10万円の弁償代を請求されたことである。少なくとも、本務大学においては研究費は15万は切っており、このような現状だから研究費で書籍を買うことはお勧めできない。むしろ、パソコンなどの消耗品を購入すべきであろう。

 午後7時過ぎに帰宅し、夕食をとってから一眠りしてこの備忘録を書き込んでいるところ。土曜には、試験を受けなくてはならないので、明日は試験勉強をする予定。とりあえずの目標は、3年後に図書館司書の資格を取得することである。

公開シンポジュウム「教員養成の将来像」

2013年01月23日 23:59

  1月23日の備忘録。

  今日は、マンションの部屋の整理・整頓で手元になくてもよい書籍を段ボール箱に詰めて本務大学の研究室に宅配で送った着払いの荷物が午前中に到着する予定であり、さらに期末試験についての質問をお昼休みに受け付ける旨を受講生にアナウンスしていたので、午前10時過ぎにタクシーで大学に向かう。ところが、教員控室のメール・ボックスを見てみると、書籍が届けられているとの総務からのメモ書きが入っていたので、仕方がなく台車を借りて研究室まで荷物を運ぶ。そもそも、4階まで病気で荷物を運ぶのが面倒なので着払いにして、代金を受け取りに来るのと同時に荷物を運ばせようと考えていたのに、わたし本人には連絡せずに、総務に荷物を運んで終了というのでは仕事があらい。この傾向は、この界隈ではヤマト運輸でみられる傾向が多い。

  お昼休みから、時間を延長して午前1時半までわたしの「現代人権論」および「法学概論」の受講生を研究室で待っていたが、わずかに前者の受講生が3名、そして後者の受講生が1名のみ質問しに来たに止まった。しかも前者の3名のうち1名は友達が、介護等体験の実習で当日試験を受験できないということの連絡であったから、実質は両方を合わせて3名しか質問に来なかったということになる(池田さん、救済策は後日連絡します)。当然のことながら、明日もお昼休みから午後4時まで研究室で質問を受け付けるが、来ない奴にかぎって成績に不満を言うので堪ったものではない。そもそも、質問に来る学生はメモ書きを見る限りではできているし、また本番の試験も高得点である。本当はできていない学生に来てもらいたいからこのような余計な時間を割いているのであるが、本当にソクラテスの言うようにバカは自分がバカであることを知らないから、親の心、子知らず、といった感じで自滅していくことになる。但し、法学概論の質問をしに来た学生はわたしが厳しい採点をする先生であると勘違いしているようであり、また、その学生がわたしの所属する社会科の学生であることから、妙な風評被害にあっているのではないかと感じ、そのようなイメージは誤りであることを同級生に伝えておくように命じた。そもそも、わたしが自説以外の答案を不合格にするなとどというのはデマ以外のなにものでもない。彼が研究室を出ていく前に、亀本先生の本からの1節を読んで聴かせた。「「先生も、やればできるじゃありませんか」と言われたことがあった。それは学問の道において、しばらくぶりのうれしい出来事であった」(亀本洋『格差原理』(成文堂、2012年)はしがき)。この言葉を本学の学生がどう理解するのか、それが問題である。

  午前1時半から公開シンポジュウム「教員養成の将来像」が開催されていたのだが、上記のような理由から若干遅刻して出席する。なかなか、高岡信也先生の話は面白く、特に教育学部を「鶯餅」に譬えた説明は分かりやすかった。全体的に、田代前学部長つながりで広大閥の講師が多かったので話し方をはじめとして、おもしろく、親しみやすい語り口であったような印象を受けた。特に面白かったのは、文学部や理学部はあんころ餅やジャムパンで中身が決まっているが、教育学部は鶯餅で中を割っても鶯が出てくるわけではないという説明であった。但し、いずれにせよ教育学部が教員養成の看板を下ろさない以上、他の学部に比べ教育学部の教員は負担が大きいことだけは理解できた。

  午後5時半に、アマゾンで注文したDVDと書籍とコミックスのマンションへの着払いの品物が届いたという知らせが入ったので生協でお弁当を買って、タクシーで帰宅する。

 とりあえず、コミック3冊は読破し、DVDは暇な時を見付けて鑑賞する予定。

  ……「誰が主人か犬は知っている」……「猫にとっては どうでもいいことだが」……(ばーいユダヤの格言)

  

  ドゼー「褒められたい…です」

  ナポレオン「………なに?」

  ドゼー「聞こえたでしょ 皆から称賛されたいんです」

  「おっ!あれもしかしたらドゼー将軍… 本物のドゼー!?信じられない~~ 会えて光栄です ドゼーさん あなたの活躍読みましたよ 握手してください キャー    

   ドゼー将軍すてきぃ」「…って言われたいんです」

  

    ミシェル・ネイ

  また、長谷川哲也『ナポレオン―覇道進撃―』②を買ってしまった。2月に④が出るので、そちらを予約しておいた方がよかった。

 言わずと知れた小山先生の博士論文。献本も含め、今回で4冊目の購入。個人的には、わたしが本務大学の紀要で発表した論文を引用してくれている数少ない本なので先生には感心するとともに、感謝しています。ちなみに、備忘録に書き込んだようにわたしが慶応義塾大学に内地留学した時の受け入れ教員が小山氏であり、博士号取得パーティーにも末席に参加させてもらった。

 

 小山先生のお祝いが開かれた三田滴屋。以来、慶應義塾大学の先生方とは懇意にさせていただいています。この当時は、まだ葛西さん、大林氏、横大道氏、岩切氏および上代氏は院生だった。いまは、みんなドクトル・プロフェッサーで活躍中である。

整理終了とWebnodeのプレミアムパッケージ手続

2013年01月22日 15:18

 1月22日の備忘録。

 昨夜は、32時間以上寝ていなかったので午後8時半ごろから午前1時半まで爆睡。午前5時から午前8時まで、二度寝してどうにか頭がすっきりした。今日は午前中に、先週から行っている部屋の整理・整頓を終わらせようと考えていたので、宅急便で本務大学の部屋に置く書籍を送付した。結局、右のものを左へ、左のものを右へと移動させただけではあるが、見つからなかった資料がへんなところから出てきたり、それはそれで面白かった。午後12時半に一応、今回の整理・整頓を終了して、次回は3月の上旬から1週間程度の時間をとって本格的な震災後の部屋の整理を行いたいと考えている。意外かもしれないが、わたしは部屋では食事をしないので本質的に埃が積もるぐらいで、引っ越し業者も驚くほど台所以外はきれいである。反対に、生活臭のない部屋と言えばない部屋である。

 午後2時にタクシーで銀行に行き、預金を下ろしに行くと同時に下記ブログに書き込んだようにWebnodeのプレミアム・パッケージ手続の送金を行う。意外と送金手数料と支払銀行手数料にお金がかかることを実感した。これは大学時代に商法を知るには、まず銀行に行ってみろという先生方の言がそのまま当てはまるものであった。原則的にはカードを作らない主義なので、この次の手続は1年後であるから、それまでに海外出張があれば、その際にカードを作っておかなければならない。ま~、これも科研費が当たればのものであるが(一応、書類の年度計画にはオーストリア、ドイツ、フランスおよびイタリアに調査旅行する旨を書き込んだ)。一応、わたしが行ったことのある外国はオーストリア、イタリア、ドイツ、ハンガリー、チェコスロヴァキア、デンマーク、オランダ、ベルギー、フランスしかない。滞在期間が一番多いのが、実はオーストリアでハンガリーには2度行っている(午後4時までの書き込み)。ちなみに、2000年にドイツ憲法判例研究会のオーストリア憲法裁判所訪問の余暇に、他のメンバーにハンガリー旅行を勧めたのはわたしである。また、過去のこのHPの記事で書いたように菊地君のAusgleichをテーマにした修士論文作成指導にも役に立った。とはいえ、脱サラして院に来た菊地君は会社を辞める前にハンガリーに旅行して、Ausgleichの本を買って、それをテーマに卒論を書こうとしたというのだから驚きである。

   最後に、ドイツに行った2009年のドイツ憲法判例研究会とフライブルグ大学との協同研究での写真

   第一の写真は、ドイツ憲法判例研究会のメンバーでカールスルーエのBundesverfassungsgerichtに訪問した際の記念写真

 第二の写真は、フライブルグ大学での共同シンポジュウムの一コマ

  

  午後5時半に、デニーズで夕食をとる。その後、いろいろ細かい作業をしていたら午前1時を越えてしまった。

(追記)

 先日、大鵬親方が死去した。わたしたちが小学生低学年のころがいわゆる「巨人、大鵬、卵焼き」の時代であり、ひとつの時代が終わったような印象を受ける。5年ほど前、「憎らしいほど強い横綱は?」と授業中に学生に聴いたら、「朝青龍」との解答をが返ってきて、本当は「北の湖」を期待していたわたしは世代間ギャップを思い知らされることになったが、時代が流れるのは本当に早いものである。大鵬→輪島→北の湖→千代の富士→貴乃花→朝青龍→白鵬という流れか。本当は、大鵬は巨人嫌いであったという逸話がおもしろい。ちなみに、わたしは後輩の活躍する巨人ファンである。最後に、大鵬親方のご冥福をお祈りします。

  

徹夜!

2013年01月21日 18:23

 1月21日の備忘録。

 久しぶりに、Hotmailの受信箱を見てみると畑尻編集委員長から『憲法の規範力』の原稿の更なる削減のお願いのメールが来ていた。いずれにせよ、書き過ぎなのは分かっているので午前0時半から翌午後1時過ぎまでかけて更に5,000字程文章を削る。完全にフランス革命史観の註はほとんど原型のない程度まで削ったので、数日前にこのHPのニュースにUPしておいて正解であった。元はこれ程勉強しているのだぞというのが、一応、訪問者諸君に理解されるのだけでもありがたい。とにかく、削った原稿をメールにて編集委員長に送付する。

 急いで、タクシーを拾って本務大学に向かう。しかし、午後2時40分からの講義は試験のための最後の課題を出したためか、あるいは質問コーナーにしたためか、午後3時過ぎには終了してしまう。課題は以下のようなものである。

 

課題5

 わが国は国民主権を採用しているのに、民主制に一番適した国会の制定した法律を、民主制から一番離れた裁判所が法令の合憲・違憲、適用の合憲・違憲を判断する違憲審査制度を設けているのはおかしくないか論じなさい。

 午後3時半頃、生協の散髪屋に行っておばちゃんに髭の手入れと洗髪をしてもらう。

 午後4時20分から、次の講義に入るが、ここも最後の課題を出して、質問コーナーにしたら午後5時半には質問者もいなくなり、授業は1時間程度のものとなった。公開講座に出席しているお爺ちゃんの方がよっぽど積極的に質問したぐらいである。質問の内容は、選挙権における投票価値の格差是正の話であった。なお、こちらの課題は以下のようなものである。

課題5

 プライバシー権と表現の自由、環境権と経済的自由のように二つの人権が衝突する場合が少なくないが、あなたが裁判官であったとき、どのような基準によってこの衝突を解決するのか、仮想事例を設定して論じてください。

 午後6時頃に、タクシーで帰宅したので自宅に到着。本日は、長尾先生からお年賀の礼状が届いていた。来月は、学恩のある長尾先生の前で研究会で報告予定なのは、おとといの備忘録をお読みください。長尾先生については、また別の機会に書き込む予定です。

 とにかく、32時間一睡もしないのは眠気はないが、疲れてしまう。

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