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カール・シュミット

2013年01月12日 01:14

 1月10日の備忘録。

 午後12時半頃、タクシーにて本務大学に向かう。IT基盤センターで、冬期集中講義「日本国憲法」の日時が決まり、レジュメを印刷するのを省略し、スクリーンにレジュメを投射してすませるために作成した資料を基にこのHPに『国法学講義ノート』第3~5講までのニュースの記事をUPする。まだ、WEBNODEの本質的な作成・編集を充分に理解していないので、途中、ニュースの記事を消去してしまったと思いあたふたする。

 午後4時20分から1時間半、第5時限のゼミ形式の授業をおこなう。発表者は、小川くんで長谷部恭男『憲法とは何か』の最終章をきれいに纏めてくれた。とくに、カール・シュミットの説明の箇所は板書も含め、法学部の学生にも負けない立派なものであった。

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カール・シュミットの考えとは

 疑問:国家間の闘争は、世界国家を作ることで達成できるのではないだろうか。

 

カール・シュミットの立場:「世界国家は存在しえない。」

国家間の関係は「政治的なるもの」であり、国家の存亡を懸け、人民を巻き込む闘争となる。つまり、世界国家はできない。

 

人間は闘争する→国家を作り抑圧する→国家は互いに敵対するが極限闘争にはならない。カント、ホッブズの考えは中途半端な均衡点を目指す思考(立憲主義)である。

 

なぜシュミットはホッブズから派生したリベラリズムを否定するのか。

 人間は「なぜ~なのか」の答え・意味を決めるが、異なる意見を持つ人々が争えば、それは生と死を懸けた闘争になるのが自然である。正しさを求めた宗教戦争に終止符を打ったのが近代立憲主義である。

 近代ヨーロッパは正しい信仰に関わる闘いから逃れるために中立的基盤を求めたが、それが完全に達成されるには、人間が問いを放棄した時のみである。                                          

                         ↓

 人間が生きる意味に執着する限り、闘争は続き常に「政治的なるもの」がついてまわる。

                         ↓

 よって、シュミットの立場「政治的なるもの」とホッブズの近代立憲主義は両立できない。

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 以上が小川くんのレジュメの抜粋であるが、敵友関係の板書での説明は非常に分かりやすかった。

 問題となったのはシュミットとホッブズの両立不可能性であったが、それは両者の宗教観が異なることに基づくとコメントしておいた。まさか、小川くんがシュミットのカテコーン論を知っているわけでもないので、黙示録をどのように解釈するのか調べるように指示しておいた。ちなみに『政治神学』において、シュミットの説くカテコーン(『テサロニケ信徒への手紙二』)とは、終末が訪れる前の必然的な段階として想定されるアンチ・クリストの登場を阻むものである。しかし、これはキリスト教の正統な教義と矛盾してしまう。なぜならば、カテコーンはアンチ・クリストだけではなく、終末(ハルマゲドン)の到来をも阻止してしまうからである。

 懐古的ではあるがシュミットはまさにわたしが小川くんの学年の時には生きており、その翌年に死んだことから隔世の感がある(長尾龍一『カール・シュミットの死』(木鐸社、1987年))。

 この授業の参加者には、お疲れ会と兼ねたお食事会を予定しているのであるが、わたしが指定したフランス料理店が取れなかった場合、甲羅屋に蟹を食べに行こうと提案すると、永山さんが「わたし、蟹アレルギーなんです」とのたもうたので、「それでは、みんなは蟹料理であるが、永山さんだけ他のメニューを頼みなさい」と答えておいた。

 タクシーで帰宅するが、運転手が江戸川区出身であると言うので、東京の話をして帰る。

 帰宅後、年賀状の確認とこのHPの記事を書き込んでいたら翌午前6時過ぎとなり、朝食を食べて薬を飲んでから就寝した。

(追記)

 東京大学の石川健治氏は、ことしもカール・シュミットを大学院で読み続けているそうである。

カールシュミット『政治的なるものの概念』を読む(II)

担当教員

石川 健治

単位数 / 使用言語 / 配当学期

2単位 / 日本語 / 冬学期

授業の目標・概要

本演習は、ワイマール期ドイツの法学者カール・シュミットの古典的著作『政治的なるものの概念』を、ゆっくりと時間をかけて読むことを目標とするものである。憲法学を深く理解するためには、逸することの出来ない著書であり、講義ではなかなか味わえない、理論憲法学の深さ・面白さにふれる絶好の機会になろう。

授業のキーワード

法学,政治思想,20世紀ドイツ,カール・シュミット,憲法総論

授業計画

シュミット解読の見地からは、広く流布している1932年版のテクストを無批判に受容するのは適切ではない。また、戦後の(一面ではきわめて有益な)自己註釈に基づく、原典とは異なるオーケストレーションに拠って、遡及的に解釈するのは、一層危険である。
そこで、1927年の第1稿を底本としたうえで、これにその後いかなる改訂が加えられたかを、併せて研究してきた。漸くにして、最も流布している1932年版を読み直す作業を終え、前学期からは、1933年の「ナチス版」と呼ばれる悪名高いFassung に取り組んでいる。新規に参加を希望される方を、ゼミナリステン一同、心より歓迎したい。
内容的には、途中から入っても充分フォローできる箇所を、取り上げる予定である。また、本をとにかくゆっくりと読むのが目標であるので、ドイツ語にまだそれほど自信がない方でも、参加していただけるはずである。
もっとも、1933年版については、ナチス期の当初に流布した型の「ヒゲ文字」によって書かれている点が、初学者には難関になっている。しかし、初めての方にも充分に配慮して読み進めるので、おそれる必要は全くない。むしろ、ドイツ文化に親しむには必要不可欠な、「ヒゲ文字」入門の意味でも参加されることを期待したい。
なお、日時は月曜日隔週5・6限ということになっているが、参加してくださる方々との相談で変更する可能性もある。

授業の方法

演習形式による。

成績評価方法

平常点及びレポートによる。

教科書

Carl Schmitt, Der Begriff des Politischen, Hamburg: Hanseatische Verlagsanstalt, 1933.

 

 少なくとも、こんな授業は本務大学の大学院演習であっても行ったら教務委員会からクレームがついてしまう。もっとも、今から10年前までは学部演習でも英語・独語・仏語の文献を学生と一緒に読んでいた時期があるが、いまは昔のこととなってしまった。

初教授会

2013年01月10日 11:38

 1月9日の備忘録。

 午前11時過ぎに、本務大学に向かう。

 生協でおにぎり2つと、六条麦茶を買って、それを食べて昼食とし薬を飲む。

 学部棟で出会った先生方と新年の挨拶をしたりして、午後1時半からはじまるセンター試験の説明会までの時間をすごす。

 乾先生に「新年すぐに授業が始まるので年賀状を書いても損するだけですよ」と言われたが、中には律儀に野崎先生や梅津先生のようにメールではあれ、お礼状を送信してくれる先生もいるのでそのように単純に割り切れるものではない。本務大学教員の年賀状に対する態度は、①毎年、きちんと年賀状を出してくれる、②年賀状ではないがメールでお正月期間、ないしそのお礼状を送信する、③まったく、口頭の挨拶だけで済ませるの3類型に分けることができる。そして、①ほど年配で尊敬できる教員が多い。

 それとの関係で、大学時代の友達の廣江氏からのメールも着ていた。さらには、大森氏からもお礼状のメールが届いていたt(早稲田大学の院生からの付き合いは、斉藤→馬場→大森→實原→高橋→藤井→千国というような流れである)。

 午後1時半から1時間半、D201でセンター試験の説明会があった。こちらは、瀧澤委員長の歯切れの良い説明で1時間少しで終了した。

 しかし、問題は教授会である。本務大学の教授会は厳密に言えば教授会、教育会議および研究科委員会の三部構成で、今年最初の教授会であったこともあり、午後3時から午後7時過ぎまでという長丁場であった。途中、昨年12月に在職中に亡くなった岡安先生の冥福を祈っての黙祷もあり、議事内容や資格審査の投票もあったので4時間であれば議事の進行としては遅くは無いが、外はまったく暗くなっていた。その後、教室長の提案でわたしの旧研究室であるA521で教室会議が開かれ、結局終了したのは午後8時過ぎであった。タクシーで帰宅したが、夕食をとっていたりしたらマンションに着いたのは午後9時前になっていた。

 午後9時過ぎに、田舎に戻った母親に電話をかけると新宅の叔母ちゃん(わたしから見ると大叔母)の家に言っているということなので、電話を代わってもらって叔母ちゃんに新年の挨拶を行った。

 久しぶりの8時間労働のためか、その晩はぐっすりと午後11時半から翌午前過ぎまで熟睡することができた。

 翌日の1月10日の午前中に、このブログを書き込んでいるが新しいネタは入手していないので、面白いはなしがあれば帰宅後に(追記)の部分に書き込むことにする。

 それと、これは学生にとっては重要なお知らせであるがわたしの「日本国憲法」の集中講義の日程が決まりました。2月18日~20日まで1時限~5時限までのぶっとうしで講義をおこないます。ただし、卒業予定の四年生の履修は認められません。

ちなみに、ニュースはhttps://verfassung-jp.webnode.jp/rss/%e3%83%8b%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%82%b9.xmlから見れます。

(追記)アマゾンからのメールによると、わたしが小学校時代に放送されていた『電人ザボーガー』のリメイク版―というか、パロデー版ーの映画のDVDが発送されたそうである。

 

 

 

中休み

2013年01月09日 21:08

 1月8日の備忘録。

 今日は、講義が入っていないので原則的に自宅マンションにいる。

 やらなくてはならない仕事はまだまだあるが、原則的にこのブログの書き込みをメインにしてすごす。

 とりあえず、年賀状の第五弾が夕方に届く。それとの関連で、大日方氏のブログを観ていたら以下のような記述が。

 「いただいた年賀状を見ていたら、わが師匠から、ひとことをいただきました。これをモットーに、本年、1年、生きていきたいと思います。年賀状には、つぎのようにありました。「必要不可欠の人材とならぬことがコツ」師匠からいつも、深~~いお言葉をいただいています。」おそらくは、阪本昌成先生のお言葉であろうと思いますが、そこが阪本先生の魅力なのだろうな~。

 明日は、今年初の教授会であり、その前にセンター試験説明会もあり、今日のようにはのんびりいかないであろう。

 母親は年末に続いて、愛媛県に明日から帰省とのこと。

 とりあえずは、この備忘録を書いた1月9日は帰宅したのが午後8時半過ぎであるので今日の書き込みはこれまでということにしておこう。

(追記)

 そうそう、前日の寝る前にDVDやマンガの衝動買いをしてしまった。ま~、一時に比べるとブルーレイの発売により値段が安くなっており、また一昨年の洋書の衝動買いに比べれば可愛らしいものである(本務大学の研究費15万円では何も買えない)。とはいえ、少し財政を引き締めなければならないことは確かである。

   ここで、専門書や洋書をあげるのは野暮であり、また企業秘密なので書くことは止めておく。

  2012年12月26日の備忘録に書いたように、諸星大二郎の描く作品と遊星からの物体Xの世界は非常に似ている。かつて、オカルト好きの舟橋くんが物体XのLDを一緒に観ようといったら怖がって観なかったことが思い出される。

 

 

初講義

2013年01月08日 11:46

 1月7日の備忘録。

 午前10時半過ぎに、取引銀行に預金を引き出しにいく。感想としては、この1ヵ月間に35万円でよくこの日までやり繰りできたな~、というもの。原稿執筆のために資料もかなり購入したし、年賀葉書代も5万前後は使い、医療代も3万円以上かかりおまけに年末はDVDや小説をかなり購入したので自分でも感心しているところ。とにかく、年はじめの第一月曜日であったので銀行にお客がたくさんおり、窓口業務を終了するまでに約1時間かかってしまった。マンションの家賃等を振り込んだ後、勤務大学へタクシーで向かう。

 まず、最初に生協の散髪屋のおばちゃんのところに行って髭の手入れと洗髪をしてもらう。その後、事務に寄って新年の挨拶をし、学内メールをチェックする。さすがに、今日からは事務開きなので大学関連のメールが数件送付されていた。

 午後2時半より、1時間半「現代人権論」の講義を行う。昨年最後の講義で、ゴーティエの「囚人のジレンマ」と「チキン・ゲーム」の理解のためにキューブリックの「博士の異常な愛情」を学生諸君と一緒に鑑賞したこともあり、説明がやりやすかった。ついでに、ゲーム理論と併せて確率論としてコンドルセの定理とラプラスの定理(ラプラスの悪魔=デーモン)についての説明もしてしまう。最後に時間が余ったので、試験問題の課題である五つの問題のうち二題を出題して、その簡単な解説を行う。

 課題1 日本国憲法は国民主権を採用しているが、その原則は「間接民主制」であり、例外として「直接民主制」がそれを補完するという形態である。その理由を具体的なメリット・デメリットを挙げて論じてください。

 課題2 日本国憲法はホッブズ流の社会契約論を採用しているのか、それともロック流の社会契約論を採用しているのか、思想史的および憲法制定史的観点から論じてください。

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年末に、「博士の異常な愛情」を観た感想文を学生に課していたのであるが、なかなか理解が深かったので一例を紹介する。

 

「博士の異常な愛情」からゲーム理論のチキンゲームを理解する

                 ○学部○学科○コース 学籍番号○○○○○○○○ S.K(女性)

 この映画は、アメリカ空軍のリッパー将軍が独断で指示した“R作戦”をめぐって起きたアメリカ上層部の混乱を描いたものである。映画内でどのようにチキンゲームが皮肉られているのかを説明する前に、映画内での設定等を説明していく。

 アメリカとソ連は戦争をするか、しないかという緊迫した状態であった。しかし、アメリカ側もソ連側も攻撃を仕掛けることはしなかった。アメリカ軍はソ連よりも強力な核爆弾を持っていたから、それを打ち込んでしまえばアメリカの勝利は確定する。一方ソ連は、地球上の全生物を死滅させる皆殺し装置の開発に成功し、その装置の設置も完了していた。皆殺し装置は、ソ連のどこかの各設備等に核攻撃を受けると、自動的に作動するようになっている。しかし、皆殺し装置のことは来週の月曜日に全世界に発表される予定で、アメリカはその装置のことを何一つ知らなかった。

 この映画の中でチキンゲームを行ったのは、アメリカとソ連である。チキンゲームの発端は、“R作戦”である。この作戦は、大統領の権限がなくとも、将軍クラスの者であれば、核攻撃をすることができるというものである。リッパー将軍は、“R作戦”を発動し、ソ連を攻撃させた。このリッパー将軍の行動は、チキンゲームにおける最悪のマトリックスの引き金である。この映画の設定での最悪のマトリックスは、アメリカとソ連が双方攻撃し、双方が死滅するということである。人間は、最悪なマトリックスを取ることができない。それを示すように、映画内でも、アメリカは“R作戦”の攻撃をどうにか回避し、ソ連から攻撃されないようにと奮闘した。しかし、ソ連側からの協力を要請し、B29の撃墜に成功したが、1機だけ撃墜することができなかった。核爆弾はソ連に打ち込まれた。皆殺し装置が作動したかはわからないが、もし、作動しなかったとすれば、ソ連はアメリカに反撃し、どちらにせよ最悪なマトリックスとなっていただろう。

 チキンゲームを皮肉ったというこの映画は、内容は戦争ものと重かったが、コメディチックで面白く、チキンゲームのこともすんなりと理解することが出来た。

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 4時20分から1時間半は、こんどは別の棟で「法学概論」の講義を行う。テキストは赤坂・市川・笹田・常本・棟居『基本的人権の事件簿』であるが、昨年最後の講義でどの事件を取り扱うかを説明していなかったので、社会権を中心に人権類型論の話をレクチャーメソッドで説明した。

 ある行為の無価値性を打ち消すためには、その行為を無価値とすればよいという話をしていたのだが、前に座っている学生が分かりづらそうにしていたのでヘーゲルの弁証法の話とイギリス経験論の話をしてやると分かったという。要するに、学生は哲学や倫理学の授業を履修しているのであるが、それと法律学の授業を別のものとして理解しているだけで、その接続をうまくしてやれば本務大学の学生はすぐに理解してくれる。その意味からすると本務大学の学生は結構、質が高い。

 原則的には、自由権は「国家からの自由」であり、国家の介入を妨害として排除する権利であると説明し、社会権は「国家による自由」であり、国家に積極的に金銭、物資、制度、規範を請求する権利であると説明し、最後に選挙権は「国家への自由」であり、投票の自由のみならず被選挙権で議員になることを保障しているから国民→議員に転化する形成権であると説明した。次いで、自由権は「不作為」を求める妨害排除請求権であるから、その請求範囲の裁量の余地が狭まるが、社会権は「作為」を求める給付請求権であるから、その請求範囲の裁量の余地が広がるとし、日本国憲法の基本的人権の原則は自由権であり、それを補完するものとして社会権が例外として保障されていると板書しながら解説した。もちろん、学生の中には初等・中等教育の教科書の影響もあり、社会権の方が重要であるという者もいたが、これに対しては「それでは、ご主人様に飼われて餌を与えられているポチと変わりがない。まずは、人格的自律の形成から自由権が原則とされ、それでも零れ落ちる人たちのために、社会権の保障が例外的にカバーされると理解した方がよい」と回答した。ここら当たりは、昨日の『小説 フランス革命』Ⅸ巻のロベスピエールの新人権宣言草案との兼ね合いで面白いところではある(その意味では、わたしはジロンド派)。いずれにせよ、その後のフランスにおいては「博愛」、あるいは「兄弟愛」による社会権の保障はトミストであるデュギーやオーリウによって唱えられたが、法実証主義者であるエスマンやカレ・ド・マルベール等によって、その抽象性をもって規範性を否定された。だが、こんなことを本務大学の学生に説明しても意味がないので、ヴァイマール憲法の社会権規定の弱みを逆手にとってナチスが台頭したこと、それゆえにその反省からプログラム規定説が提唱されるたこと等を概説した。プログラムの意味が分からない学生が多いので、これはいつものごとく運動会のプログラムで雨天決行と書いてあっても、大風や落雷で校内の立木がなぎ倒され、さらに竜巻で二三人が天に巻き上げられているのに運動会を決行する人はいないと説明しておいた。とりあえず、朝日訴訟、堀木訴訟等を解説してプログラム規定説、具体的権利説および抽象的権利説までしゃべったところで授業終了。こちら講義の課題は以下の二題である。

 課題1 事件1と事件2は同じ私立高校での校則違反によって退学処分がなされたことが問題になった事例であるが、A君は勝訴したにもかかわらず、A子さんは敗訴してしまった。このことについて、訴訟戦略上、どうしてそのような結論が生じたのかを論じなさい。

 課題2 もしあなたがどぶろくを密造して酒税法違反で逮捕された場合、あなたならば憲法13条で人権侵害を訴えるのか、憲法22条・29条で人権侵害を訴えて無罪を主張するのか違憲審査基準を考慮した上で論じなさい。

 午後6時過ぎに、タクシーを呼んで自宅付近まで戻り、夕食を食べて帰宅すると午後8時近くになっていた。年賀状の第四陣が届いていた(大藤紀子先生、ご丁寧にこちらが年賀状メールであったのにお礼状ありがとうございます)。PCでメールを確認した後、このブログの備忘録を書き込んでいたら日付変更線を越えたので就寝した。

(追記)

 松井君からメールで新年の挨拶状が来ていた。松井君は畑尻さんのところに自衛隊から2年間院生として内地留学しているのであるが、二尉の肩書きが付いているのでびっくりする。なんといっても、旧軍隊では中尉ではないか。そう考えると大学時代、自衛隊に幹部候補生で入隊した連中は今は佐官になっているということである。ま~、出世コースから外れた身からすればどうでもよいことではあるが、やはり気にはなるな~。

 

東方正教会のクリスマスイブ

2013年01月07日 13:37

 1月6日の備忘録。

 休みも今日で御仕舞い。明日から、通常通りに午後2コマの講義が入っている。とりあえず、佐藤賢一『小説 フランス革命』Ⅸ巻を読んでしまおうと考え、このHPのブログの書き込み以外、起きている時間帯は読み残しの部分の読書に当てる。この本の初版は、2012年12月20日なのでつい最近出版されたばかりである。誤算だったのは、集英社が第一部Ⅰ~Ⅵ巻を2分冊に分けて文庫本として発売したということである。ま~、塩野七生女史の『ローマ人の物語』も文庫化されたので仕方がないかと思うが、これを都内のサラリーマンが通勤電車の中で読むとは少し考えられない。通常、わたしの同級生、あるいは教え子でサラリーマンになった連中は池波正太郎や山本周五郎の時代小説を通勤電車で読むことが多いようである。夕方、年賀状の第三陣がマンションに届く。わたしが本務大学に赴任したときの、所属学科の先生方で今は退職された先生方のものであった。この当時の先生方は、わたしが学んだ先生方と同じ世代に属するのであるで社会的儀礼の観点が同じように思われる。

  塩野七生女史のこの文庫本は、一昨年の退院直後、ベッドで寝たままで読むのには最高でした。

 ちなみに、今日は東方諸派キリスト教のクリスマスイブに当たる。その理由としては、これらの諸派はグレゴリオ暦を採用していないこともあるが、実際はクリスマスの月日の確定には変遷があったということも指摘しておかなければならない。ささやかな、クリスマスイブの晩餐としてワインを少しだけ飲ましていただいた。

 先日も書いたように、いろいろな本と平行して『小説 フランス革命』を読むとなかなか読了することができない。予定通りに、4冊はこのお正月に読むことができたのでこれでよしということにしよう。樋口陽一先生が説く「中間団体否定」説の問題は、フランス人権宣言と、それを否定するロベスピエールの新フランス人権宣言制定の主張の部分が参考になるような気がした。とりあえずは、Ⅹ巻は今年の3月発売だそうなので、3月を楽しみにしている。

 フランス革命のその後は、わたしとしてはなんと言ってもアンジェイ・ワイダ監督の『ダントン』である。学部生時代に、岩波ホールで最初に観た映画であり、フランス革命の高邁な理念と残酷な現実の葛藤を旨く描き出していた(最後に、エレオノール・ディプレが人権宣言を弟に暗誦させるところがこの歴史の皮肉を印象的にしている)。

  la vertu, sans laquelle la terreur est funeste ; la terreur, sans laquelle la vertu est impuissante

                                                                                                                                                                                                   

相変わらず、フランス革命

2013年01月06日 19:38

 1月5日の備忘録。

 相変わらず、佐藤賢一の『小説 フランス革命』を読んで1日を過ごす。やっと、Ⅷ巻を完読しⅨ巻の区切りのよいところまで読んで読書を切り上げる。

 午後11時から、毎週見ているチャットを見てから午前1時半ごろ就寝。

 今日はとりわけ、面白い話を仕入れたわけではないのでここまでで書き込みを終える。

 (追記)実家と携帯で話したところ、去年3月末まで実家の隣に住んでいて、現在、石垣島で生活している悠ちゃん(1才)の家族がお正月に里帰りしていたことのこと。実は、この悠ちゃんとは、わたしが3年前に大病を患い、ここ3年、実家に帰省していないので一度も会ったことがない。その赤ちゃんが歩いているとのことなので、3年経つのは本当に早いものである。

 悠ちゃんの家からはパックⅢの配備が見えるそうである。

 (おまけコーナー)

 フランス革命を知るためのマンガ(マンガは当然、脚色が入るからそれを笑い飛ばせる知識は必要。その上で、虚虚実実の話を楽しむのが大学生以上の嗜み)。

  ベルばらと『エロイカ』では、池田女史の革命史観が全く異なっている。

 実は、ジョゼフ・コッティー先生はジョゼフ・フーシェだったのです。

 木原敏江の『杖と翼』は隠れた名作。

 『北斗の拳』の原哲夫の親友で、そのアシスタントをしていた長谷川哲也『ナポレオン―獅子の時代―』は漢(おとこ)のマンガ。

 ついに、10年の連載を経て『ナポレオン―覇道進撃―』に突入。

読書三昧

2013年01月06日 18:39

 1月4日の備忘録。

 午前中に年賀状の第三弾が到着する。さすがに、この段階ではこちらが年賀状を出していない人物は一人もいなかった。

 今日は年賀状の配達があるので、元日から届いた、わたしがまだお礼を書いていない人からの年賀状、および学問上、文通をしたいと思う研究者に年賀状を書き、近くのポストに投函する。この時点で、メールを併せるとお年賀の総数は200通を突破した。相変わらず、80余枚も本務大学の同僚に年賀状を出したのに、こちらに返ってきた年賀状は10枚前後であり本務大学教員の常識を疑う。もとから、虚礼廃止を公言している人物ならば理解できるが、そうではない人物はどのような社会教育(礼儀・作法)を受けてきたのか……。

 昨日は、佐藤賢一『小説 フランス革命』Ⅵ巻を流し読みして、Ⅶ巻を完読しⅧ巻の区切りのよいところまで読んで就寝したので、本日はⅧ巻を読みながら、平行して辻村先生や遅塚先生の本を読む。実際、自分で言うのはなんであるが小説は250頁ぐらいであるならば1時間半で読めてしまうのであるが、このように何冊かの本を併読しながら読んでいくと、一冊読むのに3時間ぐらいかかってしまう。独白と台詞の切れ目、それと主語がときたま不明確なのが佐藤氏の小説の欠点かなと思うが、なかなかよくできているなと感心する。Ⅶ巻がロラン夫人を中心に話が展開されるとするならば、Ⅷ巻はカミーユ・デュムランとダントンを中心に話が展開していく。主人公が巻ごとに変わってくるのが、この『小説 フランス革命』の特徴であると言えよう。

 

 岩波ジュニア新書なのに、完全に大学生以上の読者を対象として書かれている著作。一時、この本を少人数の講義の参考書に指定したが、ちょうどその当時の学生はゆとり教育世代の学生であったために読んでも分からないといわれてしまった。しかしながら現在も、わたしは本書をフランス革命を知るには第一の入門書であると思っている。

  佐藤氏のⅧ巻にドリヴィエが出てくるのは、他のフランス革命を取り扱った小説とは一味違った点を醸し出している。 

個人的には、小学校時代に池田理代子女史の『ベルサイユのばら』を読み、中学時代にシュテファン・ツバイクのフランス革命の一連の作品を読み、大学時代に倉多江美『静粛に、天才只今勉強中!』、辻邦生『フーシェ革命歴』等を読んできた経験からすると、佐藤氏のこの作品については、その筆致から小説というよりもフランス革命概論といった感じで読んでいるというのが本音。Ⅷ巻で興味深いのは、ジャコバン派とジロンド派の中央集権化と反中央集権化(連邦制)の対立というところであった。このために、また小堀先生らのアメリカ憲法の概説書を読み返してしまった。

  残念なことに、この倉多さんのマンガは現在は絶版のようである。

 辻邦生氏の絶筆。ツバイクのフーシェの描き方と対比させると面白い。

 ここから先は、既存の小説・映画・マンガでも詳細に描かれるところであるが、Ⅸ巻ではエーベルとマラを中心に話が展開されるようであるので、ここのところが佐藤氏の腕の見せ所か。Ⅷ巻の最後のルイ・カペーの独白は少し定型的で面白くなかった。

 しかし、遅塚先生がフランス革命史研究を志したのが、高校時代にアナトール・フランス『神々は渇く』を読んだことというのは驚く。

 

佐藤賢一『小説 フランス革命』

2013年01月04日 13:04

 1月3日の備忘録。

 お年賀も三日目は配達がないそうなので、佐藤賢一『小説 フランス革命』Ⅶ~Ⅸ巻までを読み始める。ところで、この小説との出会いはわたしが二年前大病して退院した後、今のマンションに引っ越すまでホテル住まいをしていたのであるが、本務大学の配慮から後期はほとんど講義を休講にせざるをえず、することがなったので読み始めたものである(御喋り好きなので、講義が出来ないのは苦痛であった)。ただし、いつものことながらアマゾンで本を購入すると既に購読済みの巻も重複購入してしまい、年末届いた『小説 フランス革命』ではⅥ巻をまた買ってしまった。したがって、Ⅵ巻は流し読みでむしろ巻末の参考文献のところを見てみた。すると、午前中にメールしてきた教え子に対するわたしのレス・メールと共通するところ多かったので、以下、その部分を書き込むことにしたい。

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大藤君へ
 了解しました。但し、研究史から見直すとなると、これは法解釈学者の立場から言わせてもらうと「方法論」の見直しということになり、それで学位論文を書くことが可能かという問題になってきます。例えば、フランス革命史であればバ
ークを嚆矢として、ルフェーブル、ソブール、ミシュレの左翼的な革命史観を経て、近時、アメリカのW.ドイルらを中心とした、従来の革命史観から見れば保守反動的な史観ーアンシャン・レジューム肯定論ーまでの多くのバリエーションのうち改めて、どの史観を選択するのかということではないかね。君なら知っていると思うが、フランス革命の見直しからI.バーリンに批判されたJ.ド・メストールらの保守的なフランス革命批判が再評価されてきている。ある意味では、遅塚先生の「フランス革命劇薬論」は古い学説ということになりつつある。このような流れが、君の研究対象におけるドイツ・プロイセン史研究や第二帝政史にあるのかどうか。当然、ドイツではSPD史観が入るから、そこのところも注意しなければならない。それならば、M.ヴェーバーの身分論を読み直した方がよくないのだろうか。以上、専門家ではない立場から野次馬的な意見を書いてしまいました。しかし、遅塚先生も鬼籍に入り岡田与好先生や柴田三千夫先生もいまの学生では名前も知らないのではないかなどとと思いつつ、メールのチェックで学生らのレスを読みながら君のメールへの感想を書いているところである。実際、一回書き始めると長文になってしまうな~。現在、年賀状書きを終えて佐藤賢一『小説 フランス革命』ⅦからⅨまで読んでいるところ。それでは、大藤君の健闘をお祈りします。
                                    
                       茨城大学 中野 雅紀より

 

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  このレスからも分かるように、佐藤氏とわたしの年齢が近いこともあり、フランス革命についての読んだ文献がほとんど同じであるということである。

  小説の内容は、Ⅶ巻はロラン婦人のサロンの話からはじまり、のっけからオランプ・ドゥ・グージュの「女性の権利宣言」(1791 年)、能動的市民と受動的市民、生存権の話に入ってくるので、これは国法学者としては非常に面白い。また、ここでのルイ16世の描かれ方もステレオタイプな暗愚な君主というよりも、したたかな一面をもった人物とし描写しているところがよい。これがⅧ巻になると国王裁判に急展開するのだからフランス革命は稀に見る激流の時代であることが分かる。ま~、今年最初の個人的な仕事と関係ない読書として本書を選んだのは正解かなと思っている。

 

二日目

2013年01月03日 14:37

 2013年1月2日の備忘録。

 午前10時前に起床し、朝食をとる。

 午前中に、年賀葉書の第二陣が到着。これで都合、100枚前後のお年賀をいただく。それでもその中には、芹沢斉先生 井上彰先生など数名昨年内に年賀状を投函できなかった先生方からの年賀状があり、誠に申し訳なく感じているところである。

 メールによる新年の挨拶もあり、こちらの方は少しコメントを付けてレスを送信した。実は、こちらの方がなかなか書かれている内容が面白いので、それについてのコメントを書くのに時間を使ってしまった。

 これといった、特別なこともなく1日中食事を除くと部屋に籠っていたので、完全に寝正月モードであった(ご近所さんとは新年の挨拶を交わしているので引篭もりではない)。

 明後日からは、本務大学は仕事始めなので今日と明日はのんびりしよう。昨年末は忙しすぎた。仕事のできる人が羨ましいかぎりである。

(追記)

 通常は、ブログにおける日記においても一年の抱負のようなものを書くようである。例えば、林氏の日記は以下のようなものであった。

 「1月1日(火)
 新年おめでとうございます。とある原稿の準備の関係もあり、民主党政権絡みの本を何冊か続けて読んで、何となく残念な気分で過ごした年末年始でありました。
 読書を山登りに喩えると、名峰ではあるが高く険しすぎて、二の足を踏んだり跳ね返されたものがこれまで結構あって、『いずれもっと力がついてからまた挑戦しよう』とずっと心の片隅で思っていたりする。が、いつでもまたできると思っていると、次第に体力が落ちたり時間がなくなっていったりして、大きな登山というのはいつの間にかできなくなっていってしまうのだよな、ということを去年は少し感じた。これから数年は、自分の学者人生に悔いを残さないように、浮世の事情の許す範囲で、少し大きな山に挑戦したい、と思っている。自分なりの考えを世に問うて勝負するのは、その作業をある程度まで遂げてからで構うまい。が、果たしてできるかどうか。今年の目標ではあるが、マニフェスト同様、あまり当てにはならない。」

 おそらく、11年前のわたしならばこのような抱負をHPなどに書いてしまったのかもしれない。しかし、いまは目の前の仕事をこなすだけで精一杯の状態である。

ところで、来年の学会がらみで貨幣鋳造権との関係でジャン・ボーダンの著作を読もうとしていたら林氏の日記に以下のような記述があった。

 「12月24日(月)
 自分から自分へのクリスマスプレゼントに、Jean Bodinの『Les six livres de la république』1582年版の復刻を注文して、クリスマスイブの晩はこれを枕の下に敷いて宗教内戦とサン・バルテルミの虐殺の夢でも見よう、と思っていたら、この日までに届かず。代わりに、アマゾンから届いた、Jean-Jacques Rousseauの『Le devin du village』のCDを聴く。ルソーの作曲家としての代表作とか。思えば、作曲家として名は挙げるし、『新エロイーズ』のような恋愛小説は書くし、普通に考えたらかなり「イヤな奴」のはずなのだが、少しもそんな気がしないのは、やはり『告白』が面白すぎるからである。」

 それに、サン・バルテルミの虐殺といえば、この映画しかないでしょう。この映画については、齋藤笑美子先生が本学人文学部に赴任したときに、いまは大学前から赤塚駅前に移転したpas a pasで歓迎会を兼ねたお食事会において話題になったことが思い出される。

   これはまずい、まずすぎると思いながら、自分の教え子に学会報告を勧め、自分はカレ・ド・マルベール以降のフランス国法学の研究をメインにしようと考えたりもする。とりあえずは、仕事始めは農学部だけが金曜からで、他の学部は来週の月曜からのようなのでしばらくはのんびりできるか。これがわたしを指導教員とするゼミ生や院生がいれば、論文の事前チェックや読み合わせのために金曜に半日出講して、その後、新年飲み会およびカラオケ大会となるところであったが、ここ数年、病気の関係もありゼミは開店休業の状態なので助かった。

謹賀新年

2013年01月01日 23:59

 2013年1月1日の備忘録。

 謹賀新年

  旧年中は大変お世話になりました。

  本年もこのHPともども宜しくご交誼の程お願い申し上げます。

                                 平成25年 元旦

 2013年1月1日の最初の仕事は、後輩・教え子等に対する年賀状メール送付からはじまった。しかし、午前零時から2時にかけてメール使用者が多いために全員に送付完了するのには午前3時半ごろまでかかってしまった。卒業生(大藤君、五十嵐君、三石君等)は結構、はやくレスをしてくれたのであるが、現役学生のレスが小川君(波崎町の朝焼けの写真を添付ファイルで送ってくれた)だけだというのは問題だな~。デコメテンプレートは工夫していたのに、今どきの学生は愛想がない。

 午前10時まで爆睡、起床して朝食をとった後、実家に携帯電話で新年の挨拶をした。

 午前中に年賀状の第一陣がマンションに着いた。申し訳ないことに、まだ年賀状を書いていない先生や研究者仲間からの年賀状も10枚近く来ていたので、この場を借りてお詫び申し上げます。阿部照哉先生、中山勲先生、飯塚和之先生、古屋等先生、近藤岳人氏、鈴木隆先生、佐藤修一郎先生、斎藤一久先生、葛西まゆこ先生等、年末まで仕事で年賀状を出せませんでしたが、今週中には年賀状がつくと思いますので許していただければさいわいです。

 午後からは、このHPブログの12月28日からの備忘録の書き込み。メールのチェックに時間を使っていたら午後4時過ぎになっていた。とりあえず、大学時代のゼミの仲間であった大久保氏、水野氏、川北氏等のメールが来ていた。実家には、荻場氏の年賀状が来たそうである。ま~、初日は35枚前後の年賀状を頂いたことになる。

 とにかく、疲れているので午後5時から午後10時までまた熟睡し、午後10時過ぎに遅い夕食をとり、本を読んだり、ネット・サーフィンした後にこの書き込みをしている。いずれにせよ、今年は火曜から始まったので金曜には授業が開始されるので正月休みという感じがしない(学生は卒論提出期限までに1週間を切った)。携帯に午後10時半ぐらいに非通知の着信履歴あったが、わたしは直に話すのは好きだが、電話で話すのは嫌いなので非通知にはしないでもらいたい。とりあえずは、この備忘録は23時59分に書き込んだので日記であるといえるであろう。こいつは春から縁起がいいな~。佐藤賢一氏の『小説 フランス革命』Ⅶ~Ⅸ巻までは、明日から読むことにしよう。

 

  

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