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大晦日、2012年はお世話になりました!

2013年01月01日 13:38

  2012年12月31日の備忘録を、2013年の1月1日に書き込んでいるころである。

 とにかく、どうにかこうにか用意した400枚の年賀状を午後4時半頃までに書き終えてホット一息。

 アマゾンで購入したチャン・イーモウ監督「HERO」のDVDを鑑賞する(これは、すでに約10年前に伊藤君が学生時代に一緒に映研の映写室、あるいは大藤君か舟橋君の下宿で観ている)。

 まず、この映画は無名(ジェット・リー)、長空(ドニー・イェン)、残剣(トニー・レオン)および飛雪(マギー・チャン)が秦王を暗殺するために、無名が秦王に必殺技「十歩必殺」を使えるように―お前はラーメンマンかと突っ込みを入れたいが―他の三人がそれぞれの武器を託し、無名に殺されたとして秦王の十歩手前までの拝謁を許されるところからはじまる。ところで、無名が長空、残剣および飛雪を感情の揺さぶりよって破ったということを語ると、秦王はこれらの暗殺者はそのような嫉妬で身を滅ぼすような小さな人間ではないと言い放つ。そして、無名から残剣に秦王の暗殺に反対であり、戦国の七国が争うぐらいならば「秦王に天下を託す」と告げられたこと、最後の「剣」という書を見せられたとき、「自分の真意を本当に理解してくれているのは実は暗殺者」であることを見抜く。実際、残剣と飛雪が3年前に宮殿に襲撃したとき、秦の雑魚キャラ兵士3000名はたった二人で倒されたが、秦王は残剣と互角に剣を交えていた。こりゃ、秦王は始皇帝になるわなと思いながら、「英雄は英雄を知る」とはこのことかと妙に納得。それに比べ、秦王近臣の百官たちは無名が暗殺者と分かった途端に「陛下ご決断を、掟を破る者には死を」と繰り返すだけなのが笑えた。ま~、秦は李斯による法家思想による厳罰主義で他の六国を滅ぼしたのであるから、「そりゃ、そういうだろうな」と思いながら苦笑。ま~、わたしも法実証主義者ではないが法律家だから痛烈な皮肉にはなるな~。しかし、法治主義ではなく党治主義の現代の中国にとやかく言われたくはない。ということで、この映画の本当の主役は秦王政とも理解できる。

 夕食を食べた後、正月午前零時以降に送付する年賀状メールの文章を作成。しかし、この時間帯はメールが込み合うので結局、最終的にメールを送ったのは午前3時を過ぎてしまっていた。途中、メールをチェックすると三石君、五十嵐君等の元ゼミ生のレスが着ていた。それでは、2012年12月31日の備忘録はここまでということにしたい。

日本にこんなに大学があるなんて

2013年01月01日 03:51

 昨年の12月30日の備忘録を、下記の12月29日の記事と同じく新年1月1日になったばかりの深夜に書き始める。この日は年賀状書きにほとんど時間を費やした。まず前日、本務大学関連の年賀状は書いたから、今日はまず7帝大の法学部をまずは東大→京大→東北大→九大→北大→名大→阪大の順に調べて書いていく。しかし、わたしは国法学以外に、法哲学や法制史に手を広げたから、一校当たり20名前後のお世話になった先生、知り合いの先生がいるのでこれだけで200枚は年賀状を書いてしまった。しかし、これに三高商や有力私大を加えたらいったい何枚になるのか、無限回廊でア・バオ・ア・クー(A Bao A Qu)に捉えられてしまったように感じられた。

 

 上記二枚目の画像ではなく、一枚目のボルヘスの本に紹介されているインドの幻獣のことであることは言うまでもない。

 最後は、メール送信だと思いつつもこの日は翌朝の午前7時までかけて300枚前後の年賀状を書き終わる。トルストイの「イワンのばか」では、イワンの統治する国では手に肉刺がないと食べることができないとされているから、肉刺はないがペンだこができたので悪魔の甘言に惑わされずに、三食のお飯(まんま)は頂けそうである。

 

 実際、この岩波少年文庫版で『イワンのばか』を小学生低学年のときに読んだのがトルストイの作品との最初の出会い(この少年文庫版の中に収録されている「人には多くの土地がいるか」は、その当時のわたしに人間の欲深さと、それにつけ込む魔の恐ろしさを教えてくれた)。

 ということで、この日の特記事項はないというか、本当は大学の住所を調べるためにネットで各大学のHPを見ていて面白かったのであるが、それは書き込まない方がよさそうなので控えることにする。

キヨミズ准教授の法学入門

2013年01月01日 02:52

 2012年12月29日の備忘録を2013年1月1日に書き込んでいる。それでその空白の期間に、お前は何をやっいてたのかというとまずはこのブログの12月28日の備忘録の書き込みと、年賀状を書き始めたということである。では年賀状の進捗状況はと聞かれると、ほとんど前に進んでいないというのが現状であった。実際、わたしの所属している本務大学の所属学部の教員数だけで120名前後いるために、それらからチョイスして80名前後に絞っても丸一日がかりの仕事である。おまけに、午後8時半ごろからアマゾンで購入した木村草太『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書、2012年)を読みながら、毎週土曜日に更新されるチャットを見ながら年賀葉書を書くのだから全然効率があがらなかった。

 Chapter4の部分で「その法律が適用されるかどうかを、直接、即座に判断できる」場合の話が出てきたが、これは基本権の「三段階審査論」で第一段階で「保護領域」(Schutzbereich)の話をすることに反対で、さらに「保護領域」ではなく、「構成要件」あるいは「構成要素」(Tatbestand)と翻訳すべきであるとするわたしにとっては、なかなか面白い議論が展開されているな~と思った。そもそも、「請求内容の画定」と「事実の画定」を截然と行えるのであろうか。樋口陽一説と内野正幸説の人権画定論が同じ用語を使いながら、その実は異なっているということを考えても、「一応の」権利と「確定的」権利が本当にプロセス的に具体化されているのかは怪しい。もっとも、そのプロセスさえ用意されていなかったら、もはやそれは裁判官の独善による判断というそしりを受けざるを得ないであろうが、裁判官が本当に「構成要件」→「違法性」→「責任」と段階をおって判断を下しているというのは幻想ではなかろうか。それでもそう言わなければならないのは、「正当化論証」、「誠実性論証」および「説得性論証」をあとづけでもいいから言っておかないと熟議に基づく討議理論の前提が破壊されてしまうからではないのかなどと考えさせられた。

 大体、基本権の「確定」ではなく、基本権の「画定」であるのだから、そももそも大きな領域を「一応」想定して、引き算で最終的に残ったものが「確定的」権利である請求権として主張できると読むのが素直な読み方だと思う。最後にわたしの本書読後の感想は、「日本一敷居の低い法学入門」と銘打っているが、それは嘘で噛めばかむだけ疑問の湧いてくるスルメのような入門書と思われる。大学1年に時に読んで、大学4年の時に読むと、その効果は抜群であるだろう。この日のブログの12月29日の備忘録の書き込みはここまでということで。

 

仕事納め

2012年12月29日 11:52

 12月28日の備忘録。先日書き込んだように、12月14日に出版社から送付されてきた『ドイツの憲法裁判 第2版』の担当箇所の初稿の校正を深夜午前3時まで行ってから就寝した。もちろん、鉛筆でチェックして早朝に起床して赤ペンと物差しで修正を入れておき、当初より本務大学の職員に年末の挨拶をつもりだったので、その前に大学前郵便局に寄り編集長の畑尻さんのご自宅に原稿を送付することができるようにしておいた。午前7時過ぎに起床し、朝食代わりにポテトチップスとコーラを片手に初稿原稿を校正し、午前9時前にタクシーで大学前郵便局に行って、初稿校正原稿を畑尻さんの自宅に窓口手続きにて送付した。実は、前日に送付しようと思えば送付できたのであるが、レターパックライトで郵便物を送るのははじめてなので、朝一番の受付窓口で送付方法を聴いて出さなければと躊躇したのである。とりあえずは、窓口受付けは午前中に済ませたので、畑尻さんのご自宅には翌12月29日には着くのではないかと思う。しかし実際、この原稿の校正も期日を1日遅延してしまった。ほんとうに、畑尻編集長ごめんなさい。

 本務大学に向かい、学務および総務の事務室に向かい職員、出会った教員に「今年、お世話になりました。来年も宜しくお願いします。よいお年をお迎えください」と挨拶をしてから、郵便物やメールをチェックして午後1時頃にバスに乗って駅前に向かい、駅構内の蕎麦屋でざる蕎麦を食べて帰宅した。そして、このメールの書き込みをしたり、いくつかメルアドをもっているので、ここのところチェックしていなかったメルアドを確認して、このブログの12月27日の備忘録の書き込みをして一服する。しかし、今度は年賀状をほとんど書いていないので、そちらを書きはじめなくてはならない。まさに、休む暇の無い師走である。

 午後5時半にやたらにお腹が空くので、どうしてかと思ったら朝食はポテトチップス、昼食はざる蕎麦だから、いくらお腹の病気でも空腹になるとひとりで納得して近くのデニーズで蟹とブロッコリーのドリアを夕食として食べる。

 午後8時過ぎに携帯電話で実家に今年も帰省できない旨を連絡し、携帯電話を切ると着信歴があったのでリダイアルすると畑尻さんの奥様が出てきたので、畑尻さんに代わってもらってお話をする。言うまでも無く、畑尻さんの用件は上述の校正の話であった。お話では、12月29日に編集会議を行うことであるそうなので、本当に頭が下がります。その後、いろいろ調べ物をしていると午前3時前になっていたので就寝した。ところで、いま映画版の「レ・ミゼラブル」が大ヒット中とのこと。昨日、ユーゴ・豊島訳『レ・ミゼラブル』の話をしただけに、いいものは時代を問わず受け入れられるのだな~、と再確認する。

  ところで、今年の日本公法学会総会における齊藤笑美子さんに対するわたしの質問は、近代国民国家における家族制の管理t(身分登録)の前段階として、キリスト教教会における出生登録、洗礼名簿、死亡登録(「少女革命ウテナ」ではない)などによる家族制の管理からの解放が必要であったのではないかというものであったが、齊藤さんはその質問をはぐらかしたように思われる。というのも、この「レ・ミゼラブル」のコゼットの父親は貴族であったが、母親と教会による結婚を経ずして生まれた不義の子(非嫡出子)であったために(さらにややこしいことに、コゼットの母は村に教会をがなかったために洗礼を受けていない)、この母娘は苦労することになるである。そして、コゼットの生まれたときにはナポレオン時代以降の反動期に該当し、ミュリエル司祭、ジャン・バルジャンおよびコゼットの恋人のマリウス親子はこの時代の波に翻弄されることになる。もっとも、齊藤さんは「王妃マルゴ」など映画や文芸作品に詳しいので、時間の関係からはしょったと想像できるが、わたしには彼女の回答は不満の残るところであった。

(追記)

 前回に引き続き、今回の原稿の種本は以下の三冊である。

 

 

 

 一番困るのは、いまから10年前に初版がでたときにも、わたしの担当箇所は他の執筆者と違って、シュライヒ/コリオートのテキストがほとんど使いものにならないことである。個人的には、今回の改訂については土屋くんが担当した箇所がわたしの専門なので、その部分を執筆したいと思ったが、彼がどのように料理するのか見ものである。個人的には、土屋くんは長尾先生の最後の弟子に当たると思うが、なかなかの切れ者であると評価しています。

次の仕事が……

2012年12月28日 15:15

 12月27日の備忘録。一つ仕事を済ませても、まだ仕事が残っているとなかなか腰を据えて次の作業に入れないものである。訪問者の皆さんも、定期試験前に普通は読まない小説やマンガをまとめ読みしてしまったという経験があるのではないか。わたしの学生時代はパソコンを持っている学生は少なく(持っていても2ビット)、ファミンコなどなかったからゲームはしなかったが、今の大学生の年齢では生まれた時からファミコンがあるから、それこそクリスマス・プレゼントでサンタさんにゲーム・ボーイやプレイ・ステイションを買ってもらってゲームをしてしまったという人も多いであろう。実は、わたしは本務大学に赴任した年に、プレイ・ステイションをはじめて購入した。ともあれ、この日は本当にこのブログの書き込み以外は、仕事らしい仕事はしなかった。

  午後4時半ごろ横になってうとうとしていると、本当に寝てしまって午後8時半に悪夢にうなされて起きるまで無為な時間を過ごしてしまった。午後9時頃に遅い夕食をとって、今年の最後の仕事となる叢書の担当箇所の初稿原稿に目を通してみる。よくよく考えると、今年は8月以降、書き仕事や学内業務でほとんど休んでいなかったのだと気づく。そして、3月から都合十数本の原稿を執筆しているが、原稿は書いて提出すれば良いだけではなく、当然のことながら初稿から何度かの校正しなければ活字にならないのである。それがここに来て、一度に校正や新しい原稿を書かなくてはならなくなり、どっと疲れが出てしまった。おまけに、わたしは本務大学では紀要編集委員なので他人の原稿も校正している。それなのに、今月に入ってからの風邪で全然、火事場の馬鹿力が出ない。論文執筆って知的労働でしょうと言われるかもしれないが、最後は体力勝負というところがある。そうこうしているうちに、いつの間にか午前3時になったので明日は御用納めで本務大学に寄ってみよう、ついでに編集委員長の畑尻さんに初稿の校正原稿を大学前の郵便局から郵送しよう思い強制的に就寝する。その結果がどうなったのかは、明日の12月28日の書き込みをお読みください。しかし、年末に入って学内のメールを確認すると同僚、同僚の家族の訃報が多いことに改めて気付く。

(追記)

 わたしの学生時代は今と違い、半期ゼメスター制ではなかったから12月から1月の試験期間は良い成績狙いならば集中的に事前に与えられた課題の模範答案を作ったり、ノートを基に復習しなければまた1年間再履修しなくてはならないことになっていた。しかし、このようなときに限って、下記のようなものを全巻読んでしまうのである。

 

 

 

 

   当然、これは一部であるが試験の前日の夜から全巻通読していると徹夜になり、まったく試験勉強をしないままテストを受けることになる。ところで、これがおもしろいのであるが自信のあった科目に限ってBやCが多く、自信が無かった科目に限ってAになっていることが多かった。したがって、わたしは公法専攻であるが民法は1部から4部までオールAであるし、商法、民事訴訟法および民事執行法もオールAである。特に、川村泰啓先生からもらったAは自慢である。

 『ベルサイユのばら』を挙げたので、フランス革命については以下の「フランス革命大解剖」に対抗できるHPはないと思います。

 https://www5a.biglobe.ne.jp/~french/                       

やっと、教科書執筆原稿完成!

2012年12月27日 12:51

 12月26日午後3時に、前日コヤマ薬局で買ってきた風邪薬が効いたのか午前9時すぎまで寝てしまったが、朝食を食べてお休みを取らずに一気に年内の宿題であった教科書の執筆原稿を完成させることが出来た。さっそく、出版社の苧野さんに初稿を添付ファイルにてメール送信。編者の先輩および他の執筆者のみなさん、出版社の方々に原稿が大幅に遅れたことをお詫びします。しかしながら、一つ課題が減りホッとしているところ。とりあえずは、総文字数は8543文字なので次数制限はクリアーした。くわしくは昨日、ニュースに原稿をアップしたので、そちらを見てください(無断転載は禁止します)。偽デオニシウス・アレオパギデス、ハンス・ケルゼン、ゲオルグ・イェリネックおよびモーリス・オーリウもさりげなく言及したので、研究者として書きたいことも少しは盛り込んだのでそこそこの充実感。

 

 このブログの訪問者ならば分かると思うが、その後、この備忘録として使っているブログの書き込みと、過去のブログの誤字・脱字の修正を施して夕食を食べて就寝。本当は、少し軽めの新書あたり1冊を読んで寝ようかと思っていたが、パソコンで安倍内閣の組閣のニュースを観ていたら寝てしまった。

 ま~、今まで少し長めの書き込みが多かったから、これぐらいの分量の書き込みの日があってもよいでしょう。

(追記)

 大日方氏のブログ「五高日記」を読んでいると、以下のような記事があり、教科書でなければこのような問題も書かなければならなかったのかと思った。

 「2012年12月18日 (火)

 改正規定の改正。

 cloud

 さきの日曜日の第46回衆議院議員総選挙は、自民党(+公明党)の圧勝!におわりましたね。その選挙戦のさなか、いくつかの重要政策が宣伝され、そのうちのひとつに憲法改正がありました。きのう、あるTV番組をみていたら、安倍総裁の会見が放送されていて、憲法改正の第一弾として、“改正規定の改正”を考えているとのことでした。具体的には、現在は「両議院の総議員の3分の2」必要とされている国会での改正発議要件を「2分の1」にする、というものでした。

 わたし、こうみえても、学生の頃から憲法を勉強していて、“改正規定は改正できない”と教わったと記憶しているので、安倍総裁の発言を機にちょっと考えてみました。なぜ、改正規定は改正できないのかというと・・・

 憲法改正には限界があると考えられています(もちろん、無限界説もありますが、ここでは措いておきます)。なぜ限界があるのかというと、それは「憲法制定権と憲法改正権は、法理論上、別の権限である」と考えられているからです(憲法制定権は、ギョーカイ用語で「制憲権」とよばれています)。それはどういうことかというと、憲法制定権とは、なにものにもない状態で、憲法を制定する権限です。したがって、この権限を拘束するものはありません。この制憲権が発動され、憲法が制定されて、そして、お馴染みの立法権とか行政権とか司法権とかが「憲法上の権限」としてつくられるわけですが、これらの行使(発動)は、制憲権とはことなり、憲法の拘束を受けることになります。(わかりやすい例が41条の立法権の発動は59条に拘束されるというところでしょうか)。そしてこの「憲法上の権限」として、改正権という権限が制憲権によってつくられているので、この改正権の発動も憲法に拘束されます。それが96条です。今回の安部総裁の意見は、制憲権でつくった改正規定を、改正権で改正する、というものです。

 「制憲権/改正権」区別論にもとづく憲法改正限界論からすると、主権の所在とか基本的人権の保障という憲法の根本原理とともに、この改正規定は改正権では改正できないのでは、との疑問がうかびます。これについて、学部生時代に読んだ本をひもといたら・・・

 「特殊な問題として、憲法改正規定である第96条の改正を、第96条そのものによって根拠づけることができるかという問題がある。これに対しては、原則として不可能であると答えなければならない。なぜなら、・・・ 改正規定は、憲法制定権にもとづくものであって、憲法改正権にもとづくものではなく、改正権者が自身の行為の根拠となる改正規定を同じ改正規定にもとづいて改正することは、法論理的に不可能であるばかりでなく、改正権者による改正規定の自由な改正を認めることは、憲法制定権と憲法改正権との混同となり、憲法制定権の意義を失わしめる結果となるからである。」(清宮四郎『憲法Ⅰ〔第3版〕』〔有斐閣、1979〕411頁)。

 ただし、読み進めると、つぎのようにもありました。

 「ただし、改正手続による改正規定の改正を絶対に不可能とするのが憲法制定者の意志とは思われない。制定権と改正権との混同にならず、しかも改正権の根本に触れない範囲の改正、例えば、・・・ 国会の議決における『硬性』の度合いをいくぶん変更したりする程度の改正は、改正権者の意志に委せられていると解せられる。」(同書411~412頁)。

 ということで、安倍総裁案にいう“3分の2 → 2分の1”が硬性」の度合いをいくぶん変更する程度の範囲の変更といえるか、法論理的な論点となると思います(政治的には、そんなの関係ねー、かもしれませんが・・・ちょっと、古いか・・・)。

 というのが、本日のゼミでのわたしのオープニング・トークです。

 【本日の問題】 ついでに、つぎのような問題も、ゼミではなしてみました。

 勢いあまって解散してみたものの、惨敗してしまったN総理。官邸には落選議員が押し寄せて、てんやわんやです。わずか生き残った閣僚をあつめて、善後策を考えるN総理のもとに、なぞの人物Oがあらわれ、こういいます。「なにシケタ顔してるんですか、総理!いっちょ、もう一回解散しましょう」。

 さて、先日惨敗してしまったN内閣は、いま、もう一度、解散することはできるのでしょうか?」

 ま~大日方氏、これは今後のわたしの宿題ということにさせていただきます。

 

クリスマス

2012年12月26日 20:21

 12月26日に午後8時半に、2012年12月25日の備忘録を書き込む。

 午前7時過ぎに、起床してタクシーで共済病院に定期診断のために向かう。待合で、国語科の鈴木一史氏が挨拶してきたのでお話をする。鈴木氏は人間ドックで半日入院検査とのこと。

 午前9時半過ぎに、茂木先生の定期検診。今日は血液検査もなく、結局、問診がメインであった。

 問診終了後、診察料を窓口で支払、処方箋をもらって、コヤマ薬局に向かう。相変わらず、アサコールが高いために1万円以上の薬代になってしまった。

 

 午前10時半に、病院の近くから出ている大学前行きのバスに乗って大学に向かう。大学に行く前に、大学前郵便局に寄って郵便物転居届を申請しておく。

 そのあと、生協の散髪屋に寄るが先客がいたので、総務によって欠勤届の申請および郵便物の確認をしてからもう一度、散髪屋に向かう。ちょうど、前の客(小泉氏)の散髪が済んだので、軽く髪と髭を整えて、洗髪をしてもらい、おばちゃんに「よいお年をお迎えください」と挨拶をする。

 生協一階のお店でUSBメモリーを買って店員のおばちゃんと話していると、理学部の森聖治氏が入ってきたので立ち話をする。一遍、生協で別れたのであるが、マンションに帰る途中、また森氏に会ったので話をしながらバス停に向かう。話していると、森氏は2000年採用で理学部に赴任したらしい。彼とは今は閉店した大学前のペスケでお互いの学生を連れて飲み食いしていて知り合ったのだから、本務大学では古い付き合いである。そういえば、教職員組合の立ち上げのとき、わたしが早川先生と教育学部の執行委員に選ばれたとき、彼は理学部選出の執行委員であった。

 午前11時半過ぎ、バスが最寄りの駅に着いたので構内の吉野家ですき昼食を食べてから帰宅する。風邪薬をコヤマ薬局で買ってきたので、それを飲んでこのブログ関連の書き込みなどを行っていると眠くなって寝てしまう。少し、書き込みに力を入れすぎているようにも思える。一応、寝る前に夕食にはビーフシチューセットと赤ワインを飲んでクリスマスらしさを楽しむ。

 その前日に、ネット・サーフィンをしていたら面白いサイトを2つ発見。

 

小林恭二関係   「猫鮫の隠れた生活」www.jali.or.jp/kbys/index.html

 小林恭二氏との出会いは、このギボンの偽書のようなタイトルの『ゼウスガーデン衰亡史』(その当時は福武書店)であった。以後、今日まで小林氏の全作は読破しているはずである。氏のおかげで、それまで興味のなかった俳句、茶道および歌舞伎に関心を持つことになった。氏の小説の特徴は、ある小説の世界は、氏の他の小説世界の作者によって書かれた小説であるという二重構造metafictionにある(『小説伝』)。これは、アニメではあるがガンジス作製の「プリンセス・チュチュ」の雛の章の最後に、死してもプリンセス・チュチュの物語を書き続けているドロッセルマイヤーに「この物語も実は他の誰かに書かれたものかもしれない」と言わせるのに通じる。ちなみに、わたしはアニメの中では「プリンセス・チュチュ」は10本に入る名作だと思っている。

 

    https://www.starchild.co.jp/special/tutu/

 

 「白鳥の湖」の入門としては、「プリンセスチュチ」とダーレン・アロノフスキー監督「ブラック・スワン」(2010年)を観てストーリ展開の概略を掴むことをことをお勧めします。前者はあひる=プリンセスチュチュとるう=プリンセスクレールが白鳥と黒鳥に該当し終章に至るストーリーであるのに対し、後者はナタリー・ポートマンが一人で白鳥と黒鳥を演ずることに苦悩し悲劇の結末に至るというストーリーです。「ブラック・スワン」については、わたしが現在好きな女優のナタリー・ポートマンとウィノナ・ライダーが出ているので、それに魅かれてDVDを買ってしまいましたが、観てけっして損はしないと思います。

 

諸星大二郎関係  「諸星大二郎博物館」https://book.geocities.jp/yasukenyan/

 諸星大二郎氏との出会いは高校時代、この『孔子暗黒伝』か「生物都市」に接してからである。わたしは、小学校時代に五百目鬼恭三郎『奇談の時代』(朝日新聞社)を読んでいたが、漫画で伝奇物をこのようにぐいぐいとストーリーで引き込ませるものがあるのかと思った。特に、高校時代の友達の岸本君が諸星ファンで彼とよく諸星作品を語ったものである。有名なのは手塚賞の受賞のとき、諸星大二郎の「生物都市」があまりにも作品として練れているのでなにかの剽窃ではないのか否か、と審査員の一人であった筒井康隆氏に他の審査員が確認させたというものである。筒井氏の回答は、そのような作品はそれまでないというものであった。当然と言えば当然であるが、ただ、わたしは後にジョン・カーペンター監督の「遊星からの物体X」を観たときに、こちらの方が諸星大二郎の盗作ではないか思ったぐらいである。もしかすると、キャンベルJRの『影が行く』から諸星氏は着想を得たのかも知れない(よく知られているように、星新一のショート・ショートはフレドリック・ブラウンの作品の剽窃のようなものが散見される)。ただし、映画版のSFXは完全に諸星ワールドの表現だと思う。

 大学に入るかはいらないかの時期、『スパー・アクション』で諸星大二郎『西遊妖猿伝』がはじまって、現在も続いている。わたしの小学校時代、横山光輝氏の『三国志』がまだ30巻までいっていないので、連載が終わるまでに死なないでね、と思っていたのだが、実は横山氏はわたしの父親と同じ年齢であった。その当時のわたしは、横山光輝を横山隆一(「フクちゃん」の作者)の弟子だと思っておじいちゃん先生だと勝手に決めつけてしまっていたのである。諸星氏は63歳だそうだから、わたしが還暦を迎えるまでには『西遊妖猿伝』は天竺篇まではいっているであろう。

 小学生時代は司馬遼太郎の作品を大体読んでおり、中学生で吉川英治の作品をほぼ全作読み、大学生後半から宮城野昌光氏や酒見賢一氏の作品を読み始めたが、後半は諸星作品の影響が大きかったと思われる。ところで、昨年に『遊星からの物体X』のアメリカ基地での惨事の前を扱った映画が上映されていたのだね。時間があれば、こんどDVDを買って観ようと思う。 

本日のブログは、完全な備忘録と趣味の話になってしまった。

 

 

 

山下達郎

2012年12月26日 04:09

 わたしの学生時代、JR東海のCMソングで山下達郎の「きっと君は来ない、一人だけのクリスマス・イブ~♪」という歌がはやったが、まさに今年の12月24日は風邪で寝込んでいたために、食事以外は外出することもなく、彼女もなくほとんど一人だけのクリスマス・イブになってしまった。ただし、わたしは外食するときは〇〇はどこ、△△はどことお店を決めているので、料理長や女将とは顔馴染みが多いので、まったく会話がないわけではない(顔馴染みになりすぎて、注文を聴かずに料理が出てしまうこともあったが、咳をしていると風邪薬を出してくれる店もあった)。学生時代はこの時期は忘年会を兼ねて、クリスマス・パーティーを行っていたので、現在、田舎大学で一人で生活しているとこのような華やぎがなくて寂しいところである。

 ところで、クリスマスよりはクリスマス・イブがキリスト教にとっては本来的に意味のある日で、そうでないとキリスト降誕の祭りではなくなってしまう。もっとも、クリスマス・イブといえばサンタ・クロースがプレゼントを呉れる夜と思われがちであるが、そうであれば、サンタ・クロースは現在のトルコの司祭であったから、あのような赤い衣装でトナカイでやってくるということはない。また、サンタ・クロースはわたしの守護聖人である聖アタナシウスの三位一体派に属する人物で、公会議でキリスト単性説を採ったアリウスを殴り倒したので有名であるから、画で描かれたような温厚な人物ではなかったと言われている。サンタ・クロースの遺骨を調査したところ、鼻の骨が歪んでいることからかなりの武闘派であったと推測されている(もともと、サンタ・クロースの日とクリスマスは日が違い、今日でも旧暦を使っているコプト教は1月7日がクリスマスである)。

 

 雑談ついでに、東方の三賢人はメルキオール、バルタザールおよびカスパールであるが、グリム童話集の第2版によるとドイツ語ではバルタザールではなくてバルザー(Balser)と記されている。もっとも、ドイツの国法学者にバルタザールさんがいるので、方言か略称なのかも知れない。それぞれ、過去、現在、未来、あるいは白人、黒人、黄色人種を象徴していると言われている。

 最後に、夕食後にディナーでチョコ・ブラウニーを注文してクリスマス・イブ的な雰囲気を味わって帰宅した。

(12月26日深夜、なかなか寝付けないのでクリスマス・イブの備忘録を書き込む)

劇場版「トリック 霊能力者バトルロイヤル」

2012年12月25日 15:53

 12月23日の備忘録を、12月25日午後に、22日の備忘録に引き続き書き込んでいるところ。

 この日も風邪が思わしくなく、結局、午後2時前後にアマゾンから送られて堤幸彦監督「劇場版 トリック 霊能者バトルロイヤル」のDVDを鑑賞して、夜中午後11時から翌午前1時半までネット・サーフィンしてしまい、ほとんど原稿を書くことが出来なかった。

 さて、わたしは東京にいた時はだいたい名画座(ハコ)で年間250本から300本の映画を観てきたが、本務大学のある都市には名画座はないので仕方なく近くにあるレンタルビデオ店で、学生を会員にしてDVDを借りてきてもらって、学生の下宿やサークル棟の映写室で映画を観てきた。しかし、この当時は映研の部員と仲が良かったので結構楽しめたのであるが、現在は学生が、そもそも映画を観にいかないので個人的にアマゾンなどでDVDを購入して、プラズマテレビで個人鑑賞している。

 2010年は、わたしが現在の大病で最初に入院した年なので、この堤監督の作品は未見であった。あまり期待していなかったが、それなりの娯楽作品としては楽しめるものであった。わが家は神主さんの家柄なので、わたし自体はテオジスト、あるいはシーシストであると思っている。しかし、わたしは大のオカルト嫌いであり、オウム真理教事件以降はテレビであまり扱われなくなったが、オカルト特集や心霊特集はハッキリ言っていんちき宗教も宗教だが、それをネタにしかできないマスコミの低脳さ加減を馬鹿にして、反対に言えばマスコミが視聴者を馬鹿にしていると思ってチャンネルを変えるか、読書に切り替えるかのいずれかであった(過去形であるが、スタンスは現在も同じ)。

 「霊能者バトルロイヤル」の味噌は、冒頭の森山周一郎のナレーションでフーディーニの話が出てきたのと、仲間由紀恵演ずる山田奈緒子が偽霊能力者である松平健演ずる鈴木玲一郎に向かって、彼が事件を裏で操っていることを告げたとき、「ピンポ~ン。偽者の霊能力者は多いが、わたしの本当に会いたかったのは本物の霊能力者」であると本心を明かしたことである。この後、冒頭のナレーションの森山のフーディーニが希代の魔術師と言われつつ、なぜ同時に偽霊能力者のトリックを次からづぎへと見破っていった逸話と繋がるのであるが、この部分はわたしがいくら関西育ちでも、浜村淳ではないので落ちは話さない。ちなみに、阿部寛は大学の1学年後輩である。彼は学生時代はモデルから転身して俳優になったものの、長く低迷していたので個人的には心配していた。わたしの知る限りでは、半村良原作のNHK時代劇の「天晴れ!夜十郎」で主役の、現在から天保の改革時代に飛ばされた売れない俳優であった男が、鳥居耀蔵と戦う夜十郎をやったくらいからテレビでまたちょくちょく顔を出し始めたように思える。フーディーニの話は『ヤング・ジャンプ』で掲載されていた「栄光無き天才たち」で知った。これはヒントで、ニュートンやエジソンたちの最終的発見・発明は何を目指していたのかを調べてみるとよい。

 

 

なにか雑談のような話になっているが、これも熱が下がらないからと思ってください。

(追記)

 常磐線沿線に住んでいるのだが、近くで不発弾が見つかりお昼前後は、その処理のために電車が不通になるそうである。しかし、相変わらず、駅南の復興は遅々として進まないナ~。

こまのりとみでこ

2012年12月25日 14:04

 12月22日の備忘録を、今日12月25日に書き込んでいるところ。このことからも理解できるように、風邪がまだ治っていない。そして、原稿も書けてはいない。

 その前の晩、実家に電話をかけて母親と話したのであるが、わたしがなにか面白い話はないかといったところ、昔ながらの電話帳・住所録を使っている実家で、わたしが3歳になるかならないかのときに、この電話帳・住所録の後ろの頁に茶色の色鉛筆で自分の家族の名前を一生懸命に書き込んだ落書きを発見したとのこと。丁度、両親が年賀状書きの最後の追い込みで、この50年は使っている電話帳・住所録に書かれた旧友の住所を確認していたら、最後のあたりの頁に父親、母親およびわたしの名前の落書きを見つけたらしい。3歳のときには、ひらがなは読み書きでき、カタカナは読むことはできたから、おそらくは2歳半ぐらいに落書きしたとものと思われる。

 すでに、2歳の時に母の実家の庭で椎茸を栽培していたころ、それを小さいながら観察しており、祖父母、母の兄弟姉妹が外出したところ、その間に栽培場所に行って2、3個採ってきて来て、母屋の火鉢に炙って食べているを叔母に見つかって、まさのりくんが椎茸を勝手に採ってきて、生焼けで食べていると言われて大騒ぎになったらしい。幼児は幼児なりに、よく観察して1日を送っているのであるのかと感心する。この逸話は母方の田舎に里帰りすると冷やかされるので、どうやら本当のことのようだ。しかし、東映のスパイダーマンではないのに「キノコ狩りの男」(第31話)というのも、なんだか変である。また、父親が大学生時代に使っていた英語の辞書に、思いっきり万年筆で最後の10頁前後にわけのわからない落書きをしていたのも、このころである。したがって、この辞書は父親曰くZの部分から先は使えない。

 ところで、父親の名前はきちんと書けているのだが、母親の名前と自分の名前が変であるという。母の名前はみえこであるが、それがみでこになっており、わたしの名前はまさのりなのにこまのりとなっているそうである。母の言うには、小さすぎるからみえこをみでこと勘違いしているというが、えの書き方は`の後に乙と同じであるので、書き方自体はさほど問題ではない。おそらく、父親や母親が手紙を書いているのを見て、書き順とかたちだけを覚えて書いたにちがいない。しかし、さっちゃんのように小ちゃいから、んのようにくにゃくにゃした字を書くことができなかったのであろう。とすると、゛ではなく`であるそうだから完全に書き順は間違っていない。問題なのは、じぶんの名前をこまのりとしていることの方である。おそらく、まを書く段階でこの部分を書いたのであるが、間があきすぎたので下にまを書いて、4文字中2文字を使ったからあと2文字としてのりを書いて完成したと勘違いしたのであろう。わたしは一人っ子でママっこだったからおそらく、後でまか、さの書き方を母に聴いて、その次の頁にはまさのりと正確に大書しているそうである。このころは、東京でお受験がブームになったころであり、両親もわたしを名門幼稚園に入れようとしていたので、比較的同世代の子供よりもできたらしい。幼稚園受験のIQは145であったそうだし、小学校の時は138であったそうだから、周りからはよくできる子供としてみられていたようだ。

 下手に、早期教育を受けたから高校以降はたいして伸びなかったが、いままで学習塾・予備校というのは模試と、夏期・冬季講習以外は行ったためしがないので―数学や物理は親父や叔父から小学校で高校3年生までの内容を教えてもらっており、語学は英語ではなくドイツ語を教えてもらった―、私大に進学したこと以外は都会部で育った研究者仲間では、ものすごくローコストな学生生活であったと思われる。以上、わたしのやんちゃな幼児期の話でした。

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