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東京三菱UFJ銀行

2012年12月14日 16:13

 はじめに、ここ三日間は本務大学の業務以外は、風邪の悪化でほとんど寝たきり状態であった。したがって、火曜から、このプログを付けていくことにすることをするがお許し願いたい。風邪を引いてから、普通は午前6時前後には起床していたわたしが、午前8時半ぐらいまであまりよい夢をみないで、うなされながらねていることが多くなった。とりあえずは、薬を飲まないといけないので朝食を食べて、午前10時半前にタクシーに乗って三菱東京UFJ銀行にお金を下ろしに行く。ところで、みなさんは、三菱東京UFJ銀行の本店が、東京三菱UFJ銀行であるということをご存知であろうか。ちなみに、証拠として写真を貼り付けることにする。

  たしかに、三菱東京フィナンシャル・グループであるが、本店の入り口には上記写真のようにバンク・オブ・トウキョウ‐ミツビシと看板にデカデカとそうかかれているのである。わたしは慶應義塾大学に文部科学省内地留学生として2005年度に訪問教授として東京で生活することが決まったとき、この本店で三菱東京UFJ銀行の口座を開設したので、本店は東京三菱UFJ銀行であると知っているのであるが、本店に行ったことのない人たちから「それ、順番まちがっているよ」と言われることが多い。しかし、上の写真が遠山の金さんの桜吹雪と同じく、動かぬ生き証人、散らせることが出来るなら散らせてもらおうかといったところである。

 12月11日に銀行に行ったのは、前日にボーナスが出ていることは分かっていたのであるが、風邪の状態が芳しくなく、午後はすぐに授業に入ってしまうからである。ちなみに、わたしは銀行のキャッシュ・カードは今まで作ったことは無い。公務員の給料カットが懸念されたが、6月のボーナス・カットよりは思ったほどはひどくはなかった。とにかく、マンションの家賃を振り込んで、こまごました費用を払い込んでいくと、これがかなりの金額になる。所用を済ませた後、待機させていたタクシーで帰宅。その後は、うんうん唸りながらぼけーと、横になっているか寝ていた。これでまた1日、原稿を執筆する時間をロスしてしまった。

 ちなみに、わたしは本務大学に赴任してから2回転居しているのであるが(白金高輪時代は除く)、その賃貸マンションのオーナーが1年ももたずに、他のオーナーに売却したために自動振込みができない状態が続いている。

真善美

2012年12月11日 10:43

 そもそも、わたしが哲学的関心を持つにいたったは、どこに由来するのかと考えたとき以下の二つの理由が考えられる。ひとつはわたしは上高田の哲学堂公園の近くで生まれたこと、もうひとつは母校である寝屋川高校の校歌が「真善美」の追究をメインにした、歌詞であったことがあげられる。昨日、youtubeを見ていると寝屋川高校の校歌がアップされていることを見つけた。しかし、この歌詞は自分の母校であるからというわけではないが、なかなか良いものである。

 真善美 そは吾等の生命(いのち). この生命( いのち) いかに生かさむ. 憧憬(あこがれ)の眸(ひとみ)の奥に. 情熱は清らに燃ゆる. 野花(やか)匂ふ河内平の一角. ほがへ学徒の幸を. うら若き吾等は学徒

 歌人の今中楓渓が作詞したからではない。他の高校の校歌に見られるように学校名を連呼することなく、校訓をのみを生かした歌詞は秀逸である。ま~、高等女学校が前身だから、その歴史を残そうとした結果であることも否定できないが、わたしの通った学校の中では好きな校歌である。

 いうまでもなく、真善美とはプラトンの説いた人間の追究すべき価値であるということを、この歌詞から学んだ。

 昨日は、相変わらず風邪の状態が改善せず、午前11時頃に本務大学に出勤。お昼休み前後に生協の床屋さんに行って、いつものように髭の手入れと、洗髪をしてもらう。おばちゃんの話では、午前10時ごろに佐々木先生がお店に来て、散髪をしていったらしい。佐々木先生は10年程前に退職されたのだが、散髪はこのおばちゃんの店と決めているようで、15年来、この店で散髪・洗髪を行っているわたしと共に常連客である。ちなみに、佐々木先生は野口雨情の研究の第一人者である。

 午後2時40分から1時間半、日本国憲法の講義。内容は、戦争には防衛戦争と侵略戦争があるということ、生物には自己保存本能があるので、それを守るために最低限の防衛戦争は国家に認められるのではないか、ということを話した。来週はゲーム理論との関係でスタンリー・キューブリック監督の『博士の異常な愛情』を鑑賞することにした。

 午後4時20分から1時間半、法学概論の講義。内容は、国立マンション事件を取り上げて、景観権と都市計画のバランスをどのように取ればよいのかを話した。授業の後、公開授業なので授業を履修している、わたしの親父と同じ程度の年齢の学生から、犯罪抑止の関係から処罰の厳格化をした方がよいのではないか、との質問を受けた。この話を新派と旧派の学説論争の話に遡って説明したのであるが、果たして理解してくれたのであろうか。

 バスに乗って駅まで戻って、吉野家で夕食を食べた後、帰宅。午後7時過ぎから1時間程度、母親と定期連絡の電話をしてから、身体がだるいてのではやめに就寝した。

風邪で1日寝てすごす

2012年12月10日 09:45

 府立寝屋川高校卒業生であるからではないが、昨日、日曜は風邪で1日寝て過ごした。とにかく、今週中に原稿2本を仕上げないといけないのに、これは大変な時間の浪費である。しかし、咳が止まらず、鼻水も止まらないので原稿執筆は遅々として進まない。とにかく、月曜2コマこなせば、火曜には授業が入っておらず、丸1日使えるので、それまでに風邪をなんとかしなくてはならない。しかし、2年前の大病は免疫疾患であり、免疫抑制剤を飲んでいるために、なかなか風邪の治りがよくない。

 開き直って、夜は午前2時までyoutubeで懐かしい1960年代の特撮モノやアニメを観て過ごす。このころのテレビアニメって、半分はアメリカのアニメの吹き替えだったんだと再認識する。大半は、野沢那智、広川太一郎、山田康夫、小林清志などが吹き替えをやっていた。ま~、その延長で中学1年生のときにモンティー・パイソンと出会って、イギリス的なシニカルな笑いが好きになったのであるが。そうそうこれはおそらくは幼稚園児時代に、モンティー・パイソンのパクリである巨泉・前武ゲバゲバ90分を観ていたことも影響しているだろう。

 モンティー・パイソンといえば、ギリシャ哲学者対ドイツ哲学者のサッカーの試合のコントが一番である(なぜか、ドイツ哲学者チームにベッケンバウアーが加わっているのが味噌)。ま~、これはyoutubeでアップはされていないけれど秀逸だね。

 

(ギリシア・チーム)

1.プラトン

2.エピクテトス

3.アリストテレス

4.ソフォクレス

5.エンペドクレス

6.プロティノス

7.エピクロス

8.ヘラクレイトス

9.デモクリトス

10.ソクラテス

11.アルキメデス

 

 

(ドイツ・チーム)

1.ライプニッツ

2.カント

3.ヘーゲル

4.ショウペンハウアー

5.シェリング

6.ベッケンバウアー

7.ヤスパース

8.シュレーゲル

9.ヴットゲンシュタイン

10.ニーチェ

11.ハイデガー

 

(審判)

孔子

聖アウグスティヌス

聖アクィナス

 

 

  そうこうしているうちに、頭が朦朧としてきたので午前2時過ぎに就寝。そして、本日月曜にこの日記を書き込みしているという次第である。

 

 

週末の有効な過ごし方

2012年12月09日 17:44

 いつものように、1日遅れで昨日の日記をこのブログに書き込んでいる。今現在が、午後5時半を過ぎていることからも分かるように、ここ数日、体調が悪くて、このブログの書き込み以外、仕事らしい仕事はしていない。わたしは入眠障害に苦しんいるのだが、いまならば1日10時間ぐらいは寝れそうである。不味かったのは、木曜ぐらいからからだが火照った感じがしていたのだが昨日、このブログを書いた後、マクドナルドでベーコン・レタスバーガーをお昼に食べてから、午後4時半ぐらいまで寝てしまったので、しゃきっと目を覚まそうと先日の忘年会の賞品である(株)マックスの薬用入浴剤・名湯綴の中から輝きの草津を浴槽に入れて、20分程度、お湯に浸かっていたことではないか。入浴剤で湯当たりするのか、という批判はあるだろうが、実際、その後、からだから熱が抜けない感じがして、全体的にだるい。

 ところで、先週はこのHPの作製に1日かけ、先々週は中島貞夫監督の「日本の首領 やくざ戦争」のDVDが手に入ったので、それを鑑賞していたのであるが、今週の土日は原稿の締め切りが迫っているのにもかかわらず、仕事も遊びもいい加減なものになってしまた。来週は、予定ではボーナスが入るので少し、ラグジュアリーな生活を送りたいと思いながら、この1日遅れの日記を書き込んでいるところです。とにかく、人生が限られている以上、お休みぐらいは有効に使わないとね。

さよなら、岡安先生

2012年12月08日 10:37

 昨日はいろいろと事件があった一日であった。おそらく、新聞やテレビを観ているならば、日本全国の人が知っていると思いますが、昨日2012年12月7日午後5時20分前後に三陸沖を震源とする強い地震がありました。M7.3、震度5の久々に大きなもので、わたしが現在住んでいる部屋も非常に揺れました。このような地震が長引くために、わたしの住んでいる地方都市のインフラの復興が遅々として進まないわけです。

 ところで、昨日は在宅研究日に当てているので一日自宅にいましたが、大学そのものは平常授業なので、午前11時頃にメールを確認してみました。この時期になると、喪中のハガキが届く時期なので、最初はメールを見たときに、数学教育の岡安…ご逝去のタイトルであったので、岡安先生の親御さんがお亡くなりになったのかなと思いました。しかし、総務の堀口さんの添付ファイルによると、岡安先生ご自身が12月6日に急逝されたということでビックリ。その前日は先に書き込んだように学部の教職員懇親会、つまり忘年会をやっていたので、まさかの急逝です。わたし自身は高校時代は理系クラスにいたので、友人も研究者になったのは大学の理学部や工学部の教員をやっている連中が多いので、社会科教育教室にいながら、数学科の先生たちとは懇意にさせてもらっていました。とくに、わたしが本務大学に赴任したときは、わたしの高校時代の親友のN氏と、大阪大学大学院の同僚であった川下さんがいたので、同年輩の少ない学部では懇意にさせてもらっていました。この川下さんが他大学に割譲されたとき、新規に採用されたのがまだ、40代前半の岡安先生でした。とにかく、東大出身なのに気取るところのない、人のよい、気さくな先生でした。この報に接して、パソコンで岡安先生のことを調べさせていただきましたが、研究業績もさることながら、学生や教員免許更新講習の受講者からも評価される分かりやすい、すばらしい講義をなされていたのですね。54才であるならば、まだまだ研究者として枯れる年齢ではないので、遣り残したことも多くあり、先生自身のみならず社会的な財産の損失であると思います。どのように社会的に大学教授は観られているかは分かりませんが、国立大学の独法化以降、教員の負担はおそろしいほど増えてきました。ある意味では、壮絶な戦死であったと言えるかもしれないです(その意味で、わたしはタレント教授は客寄せパンダであり、同業者としては見ていない)。土曜17時からお通夜、日曜11時半から告別式だそうですので、先生に薫陶を受けた教え子の方は最後のお別れに行ってください。本当は、先生は幾何がご専門だったので時間を見つけて、すぎもっちのアテナイの祭壇の話を伺いたいと思っていたのですが。岡安先生のご冥福をお祈りします。

 さて地震があってから暫く、携帯電話やモバイルが作動しなかったのですが、携帯電話で開設した掲示板に教え子の大藤君からの書き込みがありました。このHPの感想なので、最後に若干内容を貼り付けてみます。「お久しぶりです。書き込みは久し振りになります。HP拝見いたしました。かなり練られた作りと驚きいります。配色はやはりドイツ国旗からとられたんですよね?見事に赤黒黄の三色で配色バランスも良かったです。」さすがに大藤君、HPの基調色はドイツの三色旗に沿って、選定したのを見抜いてくれたのだね。

                                                                               2012.12.08に記す

 

 

橋下氏、駅南に来る

2012年12月07日 11:33

 昨日の日記を、またいつも通りに一日遅れで書き込んでいる。昨日は、一昨日の日記を書き込んでから、12月7日提出期限の先月の学会出張報告書を総務に提出するために本務大学に行ってきた。当日の講義は、授業の一環として池谷、酒井先生引率の下、参加学生の多くが京都に旅行に出かけているので、実質休講であったから、この書類の提出と、現在、執筆している教科書の原稿ための資料集めがメインであった。

 ちなみに、上記の学会出張とは11月3日から4日まで岩手大学で開催された法文化学会と、11月10日から11日まで関西学院大学で開催された日本法哲学会の総会への参加出張のことである(それぞれ、関心のある方はhttps://www.legalculture.org/https://www.houtetsugaku.org/にアクセスしてください)。

 というわけで、午後4時には大学での用事が終了したので、ガールズ&パンツァーの絵が側面に描かれたバスに乗って駅前に戻ってきたのであるが、ちょうど、その時間帯に衆議院選挙も近いこともあり、駅南で維新の会の橋下徹代表代行が選出区の候補者の応援演説に来ていた。ま~、言っていることは正論であったが、それよりも気になったのは彼の演説の仕方である。ハッキリ言って、あの演説の仕方、すなわち聴衆をネタにして話を進める仕方は、わたしの授業もそうであるが、大阪人によく見られるものである。「そこにいる赤いコートを着た女の子、あなたは税金を納めても、その二分の一しか戻ってこないんだよ」とか、「そこの頭の薄くなってきたおっちゃん、あなた方は戦後の日本の復興に尽くしてきて有難うと言いたいが、長生きしたらそこの女の子の年金を使い切ってしまうんだよ」などは、いわゆる床屋政談( barbershop)ではないのかな~、と思った次第である。

 

教授会と忘年会

2012年12月06日 11:51

 昨日は、今年最後の教授会があり、出席してきた。本務大学の教授会は、厳密に言うと教授会、教育会議および研究科委員会から成り、通常はだいたい午後1時より3時間半から4時間半前後審議と報告がおこなわれるのであるが、昨日は午後6時半より教職員の親睦会、実質は忘年会が入っていたので1時間半で終了した。来年は、1月9日が第1回目の教授会開催予定である。とはいえ、学校生活のサイクルは4月から、翌3月までの年度制で回っているからセンター試験、学年末試験、卒論・修論発表会、卒業判定、前期試験、後期試験そして卒業式、新入生の受け入れ準備と1月からの方が実際は忙しくなっていく。とりあえずは、推薦合格者判定が終わったので数多ある入試のうち、ひとつ入試業務が終わったということになる。

 午後2時から、会場までの移動バスの出発の時間まで3時間ほどあったので、まず学務の菊池さんと相談して「日本国憲法」の集中講義を2月中旬に開講することにしてから、残りの時間でこのホームページに『国法学講義ノート』の第1講と第2講のレジュメをアップする。時間があれば、暇を見つけて残りの部分もアップしていきますので期待しないで待っていていただければさいわいです。

 それから、メールを確認すると福島高専の木原氏からメールが来ていたので読んでみると、来年3月から1年間カナダに外地留学が決まったので、その間にわたしに非常勤に来てもらいたいとの依頼であった。「木原君おめでとう」と言う反面、病気上がりの現在の体調ではいわきまで行く体力と気力は残念ながらないので辞退することにした。しかし、高専は下手に地方大学に就職するよりも待遇が良いみたいである。木原氏は、博士号取得のために専任のままで東北大学大学院に通学することを許可され、その目的を達成したし、今度は内地留学ではなく外地留学1年とは地方国立大学法人では考えられないことである。それはともあれ、木原氏を助けると思って福島県近隣に在住している法律学者は、この非常勤講師の仕事に名乗り出てください。おそらく、彼は歓迎してくれると思いますよ。

 ついでながら、携帯で掲示板を設営しているのであるが、それを見てみるとすぎもっちから、疫病を鎮めるためには祭壇を2倍にせよというデルフォイの神託を受けたアテナイ人が、その解決方法をプラトンに質問したという話を読んでいるという書き込みがあった。しかし、これって小学生で習った幾何の三角関数の問題で簡単に解けるのではないか、と思ってしまった(正方形を二つの三角形に分け、対角線を求め、その一辺の長さを求めた上でそれを三乗(縦×横×高さ)してみる。ただし、近似値ではあるが、ピタゴラス学派は虚数を認めないから、これも一つの解答にはなるハズ)。どうして、同時期にいたピタゴラス学派の人間に質問しないのかということも疑問であるが、エジプト人に比べてアテナイ人が数学に意外に疎かったことが伺えて面白かった。 

 午後5時45分発のにバスに乗って、午後6時過ぎに忘年会会場のホテル・テラスに到着。くじ引きで席が決まるのであるが、Ⅰ席で本田、橋浦、日下、神部、野崎先生と一緒のテーブルになる。今年の目玉は、音楽科の藤田、谷川先生のコンビで『オペラ椿姫』の「乾杯の歌」を聴けたことであるが、ピアノ演奏は音楽科の学生がお手伝いというかたちで行っなわれたのであるが、これが後で述べるハプニングに繋がるとは、このとき誰も予想していなかったであろう。ま~、病気の関係上、お酒は極力飲まないようにしているのであるが、飲むことを前提とした料理なので、料理の献立ももそのようになっていた。とりあえずは、付け出しと、刺身と、鴨鍋は食べたがお腹いっぱいということにはならなかった。そうこうしているうちに、ビンゴ大会になったのであるが、今年の目玉は自転車であった。これがディズニーランド家族旅行券などであれば、独身者のわたしが一等になっても申し訳ないと思われるので、辞退しなければならないのであるが、自転車であれば話は別である。当然、病気のリハビリや交通費を浮かせるために有効なので、久々に一位を目指しましたよ(ここで、ビンゴ・ゲームでどうやって一位を目指すのかは突っ込まない)。順調に、左下斜めから番号が埋まってきて、後、右上斜め上の24番が出ればというところで、「ビンゴ!」という声が。ところで、その人物を見てみると教職員では見たことのない顔なので訝しがったところ、なんと、先のピアノ演奏のお手伝いをした学生であった。当然のことながら、彼女は迷わずに自転車を指名して、それをゲットした。その次に、やっと24番が出てわたしと金子、渡辺先生が二位になったのであるが、下手に大きなものを貰うと後で処分に困るので、健康入浴剤・日本の秘湯セットを選んで、それでよしとした。もちろん、ビンゴ担当の斉藤先生は「先生、それは参加商品ですが」と言ってくれたが、今回の目玉は自転車以外ないので、それ以外はわたしにとってはみんな同じ価値であった。

 というわけで、約2時間にわたる忘年会も無事終了、ビンゴ大会も一位でなく二位で終わって、こんなことで今年の運を使い切りたくないのでなかなか充実した忘年会であった。残念なのは現学部長に代わって、田代学部長時代の昔ながらの羊羹のお土産がなくなったことか。この羊羹は、実家に持って帰ると両親が喜ぶので、昔はあまった羊羹をもらったこともあったのである。

 このようにして、午後9時頃に無事帰宅。しかし、大学に10時間以上拘束されると、内容が仕事でなくても結構疲れてしまうものである。

明日は教授会の後、忘年会

2012年12月04日 21:43

 昨日の日記を今日付けて、今日の日記も今日付けるとは、なんとお前は節操が無いと言われるてかも知れない。しかしよく考えれば明日は教授会の後、教職員の親睦会、つまり忘年会があるので、1日遅れで日記を付けるとすると明日の夜は忘年会で日記は付けられないから、今日のことは今日のうちに書くということをお許し願いたい。実は、わたしも本務大学の教職員の親睦会長を5年ほど前に勤めたことがあり、ここ2年は病気の関係で忘年会は欠席していたのであるが、忘年会についてはまったく無関心であるわけではない。本年は、会場はホテル・テラスで行われるようであり、自宅マンションに会場が近いことから出席することにした。

 ところで、わたしの本日の活動といえばこの前のブログとこのブログの更新がおもで、それ以外の活動はほとんどない。実際は、教科書の担当箇所の執筆を行わなければならないのであるが、ここ2年内に出版された憲法の教科書を概観するといったことで、あっという間に午後10時を過ぎてしまった。あくまでも個人的感想であるが、わたし自身は編著の教科書に体系性はないと思っているので、その段階で目を通す教科書も限定されてくる。佐藤幸治『日本国憲法論』(成文堂、2011年)、芦部信喜(高橋和之補訂)『憲法 第五版』(岩波書店、2011年)、岩間昭道『憲法綱要』(尚学社、2011年)および長尾一紘『日本国憲法[全訂第四版]』(世界思想社、2011年)などである。もちろん、辻村、松井、渋谷氏等の改訂版も魅力的ではある。個人的には、樋口、長谷部氏の教科書も好きである。しかし、どうしても学部生時代、青林の佐藤幸治憲法や東大書籍部の芦部講義録で勉強し、また大学院で指導を受けた長尾先生の本は頭に入りやすい。岩間氏の本は「憲法秩序」を担当する身からすると、おそらくはこの中では「憲法秩序」の内容が一番充実している。

 このように考えていくと頁数の関係上、下手をすればこれらの内容の劣化コピーを生産するだけになってしまうのではないかと内心怯えている。ここら辺りが資料を集め、それを研究しているときは楽しいが、いざそれを活字にする局面に立つと楽しくなくなってくるという、学者でよく聴かれることばで表されていることなのだろう。今回のこの仕事で、学生時代の橋本公亘先生の「憲法変遷論」の説明についての講義を思い出すことになった。少なくとも、当時は小林直樹先生の「違憲合法論」はナンセンスに思えたが、橋本説にもパースペクティブ上の混同という問題があることを再認識することとなった。具体的には、橋本説は客観的事実認識レベルでの「社会学的意味の変遷」と解釈学的レベルでの「法解釈的意味の変遷」の区別を曖昧にしてしまうということである。

 

 

 

 

 

ガールズ&パンツァー

2012年12月04日 15:33

 このブログは、わたしの日々の活動を綴る日記として作製する予定であったが、2日目にしてこの日記として本来の役割は果たせないということが理解できた。というのは、わたしはかなりの宵っ張りなので、この日記の更新はどうしても1日ずれてしまうからである。したがって、以下の内容は2012年12月3日のわたしの活動を記したものである。

 昨日は、午前9時前後に自宅を出て内藤クリニックに定期健診に行くが、待合に多くの患者さんがいたので受付で予約を取って、1時間半後に再度来院することを告げて本務大学で用事を済ませることにする。まず、教員控え室のメールボックスを確認、当然のことながら先週の金曜の午後6時に郵便物が着ていないかをチェックしていたので、通常は週はじめの月曜はお昼休みを過ぎてからでないと、新しい郵便物が入っていることはない。とはいえ、学内便や事務の通知は入っていることもあるので、これは一応の習慣としてボックス内を見てみることにしている。次に、研究室のパソコンでメールのチェックをしてみたが、これも新しいメールが来てはいなかった。パソコンのメールについては、自宅および携帯からチェックすることは可能なのであるが、本務大学は学内限定メールは大学内でし見れれないので、これも一応の習慣として見ている。実は、わたしは大病をして2年前に45日間の入院をする以前は、忙しさの度合いによって結構、この2つの確認をいい加減にしていた時期があり、事務から苦情をうけたこともしばしばあった(現在は、きちんとしているので許してね)。しかし、これだけでは時間が余ったので生協の理髪店に行って、入院中にはやし始めた口髭の手入れと洗髪をしてもらう。この病気については、今後、このブログに書き込むことがあるかもしれない。もっととも、他人の病気の話などは多くの読者たる訪問者にとっては聴きたくないと思うので、極力、この話題については回避することにするつもりではある。さて、この理髪店のおばちゃんは気さくな人で、人の話に合わせるのが上手いので、本務大学に赴任してからは原則的にこの店で散髪してもらっている。しかし、先週バリーさんがゆるキャラで優勝したことを話すと、それは何かという素っ気ない態度であった。先日書いたように、わたしの父は今治の出身なので―そういうわけで、わたしも本籍地は今治なのである―、実家では結構、このことが話題となっているのであるが、ここは今治ではなく、別にご当地キャラがいるので、おばちゃんにとっては関心がないのも当然である。そこで、通勤のために使っている茨城交通バスのガールズ&パンツァーの回数券を見せると、態度が変わり話に乗ってきた。訪問者のなかには、ガールズ&パンツァーを知らない人もいるかと思うので付言しておくと、このアニメは本務大学のある地方都市と近接する大洗を舞台として戦車部に所属する女子高生が活躍するというストーリーである。ちなみに、非常勤に来てもらった慶応大学の小山氏や甲南大学の丸山氏の慰労会は大洗の料亭でおこなった。このように、人というものは所属する社会や地域とは関係ないものには興味を示さないといえる。果たして、このアニメが町おこしに役立つのであろうか(「らきすた」の鷲宮神社、「けいおん!・!!」の豊郷町立豊郷小学校など)。

 

 

  そうこうしているうちに、1時間半が経過したので内藤クリニックに行って内藤先生の問診を受け、二ヶ月間の薬を処方してもらったので先生および看護士さんたちに「よいお年をおおくりください」と挨拶をして、再び大学に戻る。大学に戻ると、メールが数通着ていて先日の苧野さんに出したメールの返事があり、その中に編集責任者の畑尻氏からの伝言で前執筆担当者の川又氏の記述に拘束される必要はなく、わたしのオリジナルの原稿を提出してくださいとの指示があり、原稿の作成がし易くなったと思いつつ、期限があと2週間を切った原稿を作成し、それと平行して新たにこの原稿を仕上げることができるのか、と心配になってきた。

 午後2時40分から1時間半、「法学」の講義。内容は、行政および司法の定義と、三権分立と人権保障の関連性(フランス人権宣言第16条)について、遠山の金さんのお白州のシーンのめちゃくちゃさと、ドラえもんのいないのび太がジャイアン、スネ夫および出来杉の攻撃から身を守るためには、この三人を仲たがいさせて、そのいじめを逸らせるという説明をメインにおこなった。ま~、ドラえもんについては人権上、ジャイアンの「のび太のくせに生意気だ」という発言の方が問題である。すなわち、のび太が勉強が出来ない、あるいはのびた太のエラーや全打席三振のために野球大会に負けたので「生意気」であるのであれば、それはのび太の努力の次第では改善の余地があるが、のび太が「のび太」以外の何者になれるわけではなく、その人格そのものの否定である以上、上記発言は大問題である。

 午後4時20分から1時間半、「法学概論」の講義。内容は、『基本的人権の事件簿』の「平和的生存権―国際平和のために日本は何ができる?」を解説した。しかし、この講義には公開講座なので学部一二年の学生に混ざって、2名の70歳以上の受講生が参加しているのであるが、なかなか鋭い質問があって教えている、わたしが勉強になることも多い。ここでの棟居氏の「平和」の消極的意味と積極的意味の説明は、わたしは他の講義でも利用させてもらっている。

 午後7時過ぎに、駅構内の吉野家で旨辛カレーのサラダセットを食べてから帰宅。郵便受けに、京都大学の大石氏からの喪中の葉書が入っていた。そろそろ、年賀状を書かなければならない時期になったのかと実感した。

                                                                          2012.12.04.17.17記す

はじめまして

2012年12月02日 22:05

 昨日、『新・スタンダード憲法』の執筆担当の原稿を苧野さんに添付ファイルでメール送信したので、今日は久しぶりに休日らしい週末を送ることにした。この原稿は、およそ3週間前に書き上げていたのであるが、字数制限を3割増しで書いてしまったために苧野さんからダイエットすることを求められ、それに応じて2000字近く内容を削ったものである。それでも、厳密に言えば字数は何百字はオーバーしているのであり、あとは編集委員の先生の指示を待つしかないであろう。

 本当は、削った部分の説明が個人的には関心があるので、それを生かしてもらえれば有り難いのだが、贅沢を言ってはいられない。なんせ、この本が『スタンダード憲法』から『新・スタンダード憲法』に変わった時、やはり頁数オーバーで、執筆者を替わってもらうという前科がわたしにはあるからである。とはいえ、憲法と条約の関係についてはケルゼンの法段階説を使った方が読者には伝わりやすいと思うし、抵抗権についてはオーリウの請願権→生存権→抵抗権の請求の強度の差異を使った方が読者には伝わりやすいのではないか、と今でも思っている。ま~、このブログを読んだうえで、『新・スタンダード憲法』の改訂版をお買いになった訪問者は、本当はわたしがそこまで一応書いていたと理解してもらえればさいわいである。

 しかし、年月が過ぎるのははやいものである。苧野さんとの出会いは、わたしが2005年度の文科省内地留学で慶應義塾大学にお世話になったとき以来である。その当時、苧野さんは小山ゼミのゼミ員、つまり学部の学生であった。特に、小山ゼミの箱根合宿で小山氏、上代氏および苧野さんとわたしの割り当てられた部屋で午前4時ぐらいまで語り明かしたのは懐かしい思い出である。そのあと、苧野さんは大学院に進学し、吉田社長の尚学社に就職するとは思いもしなかった。そんなわけで、苧野さんは学生時代の印象が強いので苧野くんと呼びそうになってしまう。それと、三田の二郎に最初に食べに行ったのは苧野さんが誘ったからであるし、帰任パーティーにも上代氏と共に苧野さんは横浜の店を用意し、わたしの本務大学での教え子と一緒にお祝いをしてくれたことが、つい最近のように思われる。

 実は、この内地留学中に本務大学のホームページが大幅に改定され、他の部分はよいとしても『国法学講義ノート』の部分が削られたのが痛かった。と言うわけで、今回のWEBNODEで「独逸国法学研究教室」を、やっと今日になって作製しているというわけである。なかなか本題に入らない、わたしの癖がここでも出ているわけであるが、訪問者のみなさん、本HPならびにブログをどうか長い目で見てやってください。大学教員のわたしがよく見ているのは、林知更氏、南野森氏、木村草太氏および大日方信治氏のHPであるので、とりあえずはそれに準じたHPになれればなと密かに思っている。

 しかし、今日は午後1時からこのHP作製にかかりっきりだな~。

(追記)わたしの父親は今治出身なので、第3回ゆるきゃらコンテストでバリーさんが優勝したのはなにか分からないが嬉しいことである。

                                                                                             2012.12.02.23:22

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