一旦、茨城大学に戻る
2018年10月19日 15:3910月19日(金曜日)
19世紀から21世紀の大陸国法学の研究
10月19日(金曜日)
10月18日(木曜日)
中野雅紀です。先月末に、出版の可能性を伺った某出版社から以下のような感想をいただきました。ある意味で、欠点の指摘を含め感動させていただきました。
『基本権価値・原理の衝突とその規範分析―基本権構造論の諸問題―』所見
○○出版会・大橋
◆読後の雑感
宮沢俊義の「人権を制約するのは人権」論以来、日本では深まることのなかった「基本権の衝突」の議論。人権を神聖視するあまりか、学界からも現在まで等閑視されてきた。 いまや日本では憲法改正をめぐっての議論が高まりつつある。しかし、日本人の憲法の理解や人権の観念には、上記のように煮詰まった議論が欠けているのではないか。一方、ナチス・ドイツへの反省から法の問題を突き詰めてきたドイツでは、基本権衝突の議論は連綿と深められてきた(形を変えてはいるが)。
本論では、基本権衝突の問題を考察し日本の憲法議論に資するよう、戦後ドイツの議論を振り返り、達成と課題を明らかにする。
なかでも以下の3人の議論に焦点をあて、彼らの理論から基本権とはなにか、どこから生まれてくるのか、その枠組みをどう理論化できるか、について考察する。
カール・シュミット
ヨーゼフ・イーゼンゼー
ロベルト・アレクシー
主な構成としては、テーマごとに戦後のドイツの憲法・基本権議論を詳細にレビューしつつ、それら議論の日本での受け止め、私見をはさむ。
テーマは各章タイトルに明確に表れているとおりだが、最終的にはアレクシーの「ルール/原理/手続き」モデルを受けいれ、広義の基本権構成要件理論ではなく、イーゼンゼーの狭義の基本権構成要件理論を是とする。
日本における基本権衝突の議論の乏しさ、あるいは意識の低さを考えると、問題提起としての意義は高い。かつ、全体を通して非常に詳細なレビューを行い、それらを論理的に構築しなおすことで、議論の土台の設定に成功している。さらに私見や解説から著者の立場も明解である。
当会がこれまであまり関与してこなかった法学の書ではあるものの、以下の問題点をクリアできるのであれば、出版を検討できる内容であると考える。
◆問題点
・全体的に問題系や理論はよく整理されているが、レビューが大半を占め、かなり引用部分が多い。一方、著者自身の「基本権衝突」への論(結論)がない。第10章の末尾では、「ドイツにおける基本権衝突論についての議論を概観した......基本権衝突それ自体の検討は十分尽くせなかった」「問題点を若干でも示せたとすれば、本稿の目的は最低限果たした」としているが、これをどう考えるか?
問題提起としては意義深い内容であるし、これまでの基本権衝突に関する議論の整理という意味で読者に資するものであると見る。しかし、問題提起あるいはレビューにとどまり著者自身の解答がないのでは、不完全燃焼感が残る。
本書の目的をあくまで問題提起の書とするにとどめるのか、より一歩進んで、基本権衝突の議論に一定の解答・著者からの明快なメッセージを示すのか。ここまでレビューがあり筆者の立場も明らかであれば、後者としての書籍化を選択し、最後に著者の独自の理論を展開する章を加えていただきたい、というのが読後一番の感想である。
時勢におもねることは一切ないが、憲法改正議論が湧きおこりつつあるいま本書を世に問う、という状況自体を無視することはできない。であれば、結論もメッセージも明快にして記載されていてほしい。
・読者設定をどうするか、については要相談。内容は法学知識がないと理解できない用語(「~主義」「~論」)が説明抜きで大量に出てくる(博論なので当然ではあるが)。またこれも当然ではあるが、概念的な議論に終始するので難易度は高い。
本書のターゲットを法学者のみにするのであればこのままでもよいかもしれないが、より広く憲法に関心のある層やドイツ政治史研究者にまで広げるのであれば、法学専門用語や知識については説明を要する。また概念的な議論についてもそうした読者への目配せは必要になってくる。どこまでの記述にできるか、修正のポイントになる。ただし、構成やテーマ設定自体は明快。
・メールによれば、「序論」「第Ⅰ部」はドイツ現代政治史として読むことも可能、とあったが、中身はあくまで憲法議論であり法学分野であることは間違いなく、政治史的なものにするのは無理があるのではないか。改変するとしても、用語や議論の過程についてはかなり詳しく修正しなおさないといけない。これもどのような書籍にするか、の問題。
・レビュー部分について。とくに第Ⅰ部はドイツの論争について詳細に記述されているが、本書の目論見を果たすうえで、ここまで詳細にかつ大量の引用を記載する必要があるか、疑問である。第Ⅱ部に比してとくにレビューに特化した第Ⅰ部は肥大化しているように思われる。既発表論文を集めて一篇に編んだものなので、ばらつきがあるのは仕方のないことでもあるが、もっと議論を絞り先鋭化してもよいのではないか。肥大化部分で読者がつまずくのはもったいない。
・発表論文を集めて構成されているため、体裁が整っていない。また、議論の重複が見られる。書籍化にあたっては、全面的に一冊としてのまとまりをつけるために修正が必要と思われる。誤字脱字もかなり散見されるので、原稿段階で相応の書き直しが必要。言葉遣いについても「本人的には」などあまりふさわしくないと思われるものも散見されるので、見直しを検討する必要あり。またNHK「ファミリーヒストリー」など、話題がぶれたり知らないとピンとこないトリビア的なものもあるので、このあたりも再度、検討すべき。
上記に関して、現状の文字数から書籍にして500頁強になると思われるが、議論の重複などを省く、あるいは論をさらに明解に通すよう改変すれば、400頁程度までに絞れると思われる。現状では、ボリュームが出すぎているように思われる。
・注が相当な分量(文字数だけでみれば本文と同じくらいあるかもしれない)あり、脚注にした場合、ページの半分以上になるところが多くなりそうだが、ここまでの注を付すかどうか、書籍にする際はいまいちど検討してもよいかと思われる。
・タイトルは要変更
◆おわりに
原稿は博論に提出した段階のものなので、ここから書籍にできるかどうか、今後の修正にかかってくる。一番の議論点は、問題提起に終わらないものとして著者自身の論を加えることができるか、であると思われる。いずれにしろ書籍化には相応の修正期間が必要になる。
ただ、それが可能であれば、内容は読みごたえがあり、現在刊行する意義も高いと見る。
10月17日(水曜日)
中野雅紀です。茨苑会館の食堂でご飯を食べていると、外になにか大きな白いものが動いているのに気が付きました。外に出てみると、それがヤギであること分かりました。珍しいので、写メで撮影し、以下のようにupしました。
ところで、今日教授会で昇任人事の決議が行われたのですが、その際、東大大学院出身の先生の修士の通し番号と博士の通し番号の数が、前者よりも後者の方が圧倒的に多いことに気づき、会議で質問させていただきました。確か、上智に移籍された本教室の藤崎先生もそうであったような記憶があったからです。瀧澤先生の説明では、東大の博士号は学部の別を問わず、そして東大で博士号を出し始めてからの通し番号であるそうです。うーーーん、また一つ賢くなった。
10月16日(火曜日)
10月15日(月曜日)
中野雅紀です。先日、公法学会総会の休憩時間に、畑尻先生など数人中央大学の同門の先生から「博士号取得おめでとう」とお声がけしていただいたので、以下のようなメールによる挨拶を行わせていただきました。まー、このブログはわたしの健康チェックと備忘録を兼ねているので、興味のない方は飛ばしていただければ幸いです。
中央大学 畑尻先生
茨城大学の中野雅紀です。研究倫理教育受講証提出状況についてのメール確認いたしました。今週中には、書類を作成し、送付したいと考えております。
連絡が遅れましたが、齢50歳を超えて漸く京都大学で博士(法学)の学位を取得しました。 タイトルは、「基本権価値・原理の衝突とその規範分析―基本権構造論の諸問題―」 京都大学博士(法学)号で、 ワードで 357頁書かせていただきました。後半は、既出論文に加筆を加えたところが多いので、前半を何らかのかたちで世に問う必要性があると思います。本来的には、最初の内地留学の期間に慶應か母校で取るつもりが、十二年かかってしまいました。
京都で取ったのは、実家が近いということと、比較憲法学会を通じて初宿・大石先生からアドヴァイスを受けたことによります。もちろん、土井・毛利先生とも知己があったこともおおきな要因です。連絡が遅れたのは、台風の関係で一週間前に学位授与が発表されたことと、ちょうど山下先生が手術をしたのと同じぐらいに、父が脳溢血で緊急入院したからです。一人っ子なので、手術のみならず、投薬、リハビリまですべてインフォームド・コンセントをもとめられ水戸から大阪まで六往復しました。したがって、学位授与式も日帰りで、博士号は出町柳まで来てくれた母に手渡して、入院中の父に見せてもらって、わたしは夕方には水戸に戻るという具合でした。先生方からは、せわしないねと言われました。父も研究者の端くれなので、手術前に喜んでくれましたが、まさに「足の裏についたご飯粒」といった実感です。
博士論文の内容・経緯については、時間的余裕ができれば後日、あらためてご報告させていただきたいと思います。いずれにせよ、中央大学の公法研究会で報告させていただき、『法学新報』などに論文を掲載させていただければ、と思っています。
あと、学位論文刊行義務の点でよろしければご教示いただければ幸いです。一応、苧野さんにも確認したのですが、中央大学出版会から本を出すことはできないのでしょうか。こちらの方は、可能性の有無だけでもよろしいので回答願えれば幸いです。
なにか、昨年暮れから研究会などをご無沙汰だらけで申し訳ございません。本人が骨折したり、父が三度も長期入院したり、もちろん論文を書いたりで、交際が十分なものでなかったことを反省しております。
とりあえずは、近況とお詫びまでにて失礼いたします。また、今後とも宜しくご交誼・ご指導のほどお願い申し上げます。
中野 雅紀より
(補足)ちなみに、論文博士の取得の仕方は赤穂正太郎さんの「学位取得(論文博士)への遠くて近き道のり 」が非常にわかりやすく、ためになる(https://staff.aist.go.jp/s.akaho/thesis/howto.html)。このページについては、わたし自身は、博士論文の口述審査のあとに知ったのであるが、もう少し早く知っていればなー、と思うところがいっぱいあった。おそらくは今後、文系もまた理系と同じく過程博士が増加するであろうが、そうではない、これから論文博士になろうと思う研究者は目を通しておいた方がいいと思います。
10月14日(日曜日)
中野雅紀です。天気の悪い中、日本公法学会の二日目に参加してきました。執行部の連絡が悪かったのか、開会時間の直前まで会場となった専修大学の建物に入ることができませんでした。
ところで、今回の日本公法学会の見どころはどこにあったのであろうか。東京大学の林先生によれば、以下のようになるのかもしれない。
10月14日(日)
朝から学会2日目へ。報告を2本聞いたところで(同期の旧友が壇上でコメントするのを遠くから見ていたが、数年会わないうちに容貌が怪しさを増し、何となくインチキ手品師みたいな雰囲気で、何も面白いことを言わなくても全身から胡散臭い可笑しみが滲み出ることに感嘆する。やはり彼は只者ではない)、「もう良いか」という気分になり、帰路へ。知り合いの先生に「もうお帰りですか?」と聞かれたので、「ええ、もう十分楽しみました」と答えたら、苦笑される。…https://www3.plala.or.jp/verfassungslehre/tagebuch.html
わたしの個人的感想では、報告者、とくに山本隆二先生も木村草太先生もやたらと早口で説明していることが気になった。やはり、時間制限があるのだから、そこは一歩譲って、内容を限定して話すことが必要なのではないか。昔、母校の研究会で延々と1時間以上オーバーして報告している後輩がいたが、それには開いた口が塞がらなかった。このことについては、自戒の念を兼ねて記すこととする。
10月13日(土曜日)
10月12日(金曜日)
10月2日(火曜日)
10月1日(月曜日)