博士論文要約

2019年03月26日 15:46

中野雅紀です。「学位規則第9条第2項により要約公開許諾条件により要約は2019-03-23に公開」で、先に公開されていた要旨から約半年遅れて博士論文の要約が「紅」にて公開されました。以下に、その要約を載せておきます。


(要約) 基本権価値・原理の衝突とその規範分析―基本権構造論の諸問題―  中野 雅紀

概要 

 本稿は、申請者が従来から主として研究の対象としてきた、現代ドイツ国法学・憲法学 について、わが国のそれと「対比」させることによって、その問題点を明らかにしようと するものである。本稿で採りあげる、そのテーマは、憲法上の「価値」・「原理」の衝突で ある。なぜならば、この三十年間の国法学・憲法学のテーマを考えるとき、憲法の基本価 値や基本原理は国民に定着してきたと評価される一方で、その基本価値や基本原理につい ては「現実との乖離」が指摘されるだけではなく、時には国論を割るほどの論争を引き起 こしてきたとされ、憲法を変えようという言説まで生じているからである。一面において は、これは「価値相対主義」や「多元主義」がドイツやわが国に根差していることを意味 している。ところが、上述のように「国論」の分裂や、価値や原理の対立・衝突は、ネガ ティブに評価され、ポジティブに評価されることは少ない。

  しかし、価値や原理の対立・衝突こそが憲法「問題を自覚的にとらえることができ、... その解決に自覚的に近づけるのではないか」(大西芳雄)。本稿は、このようなポジティブ な、憲法の価値・原理の対立・衝突の評価に基づいている。この三十年間は、後述するよ うにドイツにおいては「基本価値論争」「歴史家論争」の延長としての「憲法価値」の問い 直しが行われたピリオドである。また、わが国も「平成」というピリオドであり、「昭和」 や「戦後」、つまりは「日本国憲法の基本価値」の問い直しをおこなうのに適したものであ った。本稿は、その標題を「基本権価値・原理の衝突とその規範分析―基本権構造論の諸 問題―」とし、以下のように「序論」、「第一部」および「第二部」から構成される。さら に、「第一部」は、第一章から第五章の五つの章からなり、「第二部」も第六章から第十章 の五つの章よりなる。

 序論

  本稿の「序論」において、取り上げるべき問題は、「概要」で示した問題提起のほかに、 以下の二点をあげることができる。

 1 ドイツにおいては、第二帝政からヴァイマール共和国期にかけてポール・ラーバント やゲオルグ・イェリネックに代表される法実証主義国法学が通説であった。本稿は、法実 証主義国法学の批判者、および戦後の継承理論と、そうではない学派に属するもの三名を 中心に議論を展開するものである。具体的には、その代表格であるカール・シュミット(Carl Schmitt、1888 - 1985 年)を最初に採り上げ、戦後においてはヨーゼフ・イーゼンゼー(Josef Isensee 1937 年-)と、ロベルト・アレクシー(Robert Alexy 1945 年-)の国法学・憲法学 の理論を採り上げる。ヨーゼフ・イーゼンゼーは、いわゆるシュミット・シューレではな いが保守的国法学者であり、その意味で国家の役割を意識した理論構成を採っている。ま た、ロベルト・アレクシーは、本来的には倫理学・論理学の研究からはじめた法哲学者で あるので、理論上は、カール・シュミットやヨーゼフ・イーゼンゼーの系譜とは異なる学 者であるといえよう。その意味では、ここでスメント・シューレやヘルマン・ヘラーの後 継者たちを採り上げなかった点に、一定の独自性を見せることになったと考える。シュミ ットの継承者としても、通常エルンスト・フォルストホフやエルンスト=ヴォルフガング・ ベッケンフェルデが採り上げられ、その研究業績も一定程度の蓄積があるところだが、そ の他の有力な理論を取り上げた点に本論文の独自性がある、と考える。また、ハンス・ケ ルゼンは、法実証主義国法学の不徹底さを批判し、その意味で純粋化した「純粋法学」を 主張したことから、ラーバントら「法実証主義国法学」の正当な継承者であり、「旧派」で あると考え、ここでは批判の対象としてのみ取り扱う。

 2 さらに、本稿は、来年の五月で終わる「平成」という時代の評価、それと被ることの 多い二十世紀と二十一世紀の端境期に着目し、そこにあらたなる「パラダイム」を見出せ るのかという一定の議論の「土俵」を設定する。つまり、この方面からも戦後の国法学・ 憲法学を取り扱う。ある意味では、そこに、価値と価値との対立・衝突があるのであり、 このような対立・衝突を消極的に受け取るのではなく、法律学上、真摯に受け取ることこ そ意味がある、と考える。そこで、本稿においては、ドイツにおける「基本価値」論争に 着目し、それが今日、どうして語られなくなったのか、あるいは、どのように変質したの か、検討を加える。このように考えると、この三十年間は、ドイツの再統一や、九・一一 テロなど、価値間の衝突とアイデンティティを考えるのに、事欠かない時代であったとも 言いうるのである。その意味では、それ以前も価値観の衝突やアイデンティティのよりど ころの問題があったのであり、その前史である「若者の反乱」や「基本価値論争」や「歴 史家論争」といった問題も必要な限り、取り上げる。

   以上の問題を明確にするために、本稿は、序論に多くのページをとっている。そして、 残りの部分を、第一部と第二部に分け、以下のように全体の構成をとった。


第一部 秩序・価値・主体

    第一部は「秩序・価値・主体」とし、以下の第一章から第五章までの五つから構成され ている。

    第一章は、「ヒエラルキー、価値および認識と解釈―第一部を語るための用語解説―」と し、なにげなく憲法学で使われている「ヒエラルキー」、「価値」および「主体」の整理を 行う。第一に、偽ディオニュシオス・アレオパギダおよびピコ・デラ・ミランドラ等の新 プラトン主義者によって提唱・発展させられてきた「ヒエラルキー」が、どのようにドイ ツおよびわが国の国法学・憲法学において語られてきたのかについて概観する。第二に、 「価値」については、カール・シュミットの問題とした「価値による専制 Die Tyrannei der Werte」、その批判の対象であるマックス・シェーラーやニコライ・ハルトマン等の「価値 哲学」についてやや詳しく概観し、さらに、ロベルト・アレクシーの「価値と原理」の関 係を概観・検討する。第三に、「価値」や「原理」の衝突を論ずる以上、「間主観性 Intersubjektivität」についても概観・検討しておく必要があるので、それについて概観す る。なぜならば、ヴァイマール共和国期の通説であった法実証主義国法学批判は、これら の「新カント派」の「認識と解釈の対象の客体化」にあったからである。

  第二章は、「二〇世紀から二一世紀への時代の変わり目における基本権パラダイム論の諸 問題―」として、ユルゲン・ハーバーマスの基本権パラダイム論と、ロベルト・アレクシ ーのそれとに大別して議論を展開することとする。いうまでもなく、これは一九九二年の ハーバーマスの『事実性と妥当性 Faktizität und Geltung』を素材として、ハーバーマス 以前の「憲法パラダイム論」と、ハーバーマス以降のその諸理論との対比を行うものであ る。たとえば、『憲法学』のなかで、カール・シュミットは、戦後基本法期においてもヴァ イマール共和国期とかわらず、「市民法治主義国家」パラダイムに基づいて憲法を説明して いる。このように、ハーバーマス流に言えば、戦後ドイツの「法パラダイム」は「自由主 義的パラダイム」→「社会国家的パラダイム」→「手続法的パラダイム」と移行している、 と解せられる。いずれにせよ、ハーバーマスは、「シュミット・シューレ」やロナルド・ド ゥウォーキンをその批判の対象とするから、このような流れで説明することも間違いでは ない。検討は要するが、結論として「手続法的パラダイム」と「共和制パラダイム」の類 似性・共通性が散見される。これを「手続法的パラダイム」から「共和制パラダイム」へ のシフトと見るか、「司法国家」、あるいは「裁判官国家」へのシフトとみるのかは、さら なる議論の蓄積が必要であろう。

  第三章は、「基本権価値論争は、どうして語られなくなったのか」とし、戦後ドイツ連邦 共和国における基本価値理論の発生とその争点、戦後ドイツ連邦共和国における基本価値 理論の展開、戦後ドイツ連邦共和国における基本価値理論の終局への移行、に大別して議 論を展開することとする。本章においても、ヨーゼフ・イーゼンゼーの「コンセンサス」 説や、アレクシーの「原理」理論が「アカデミックな立場」からの発言として、重要なも のであると考える。とりわけ、ドイツにおいては、「学生の反乱」、「基本価値論争」、「歴史 家論争」、「東西ドイツの再統一」と、ドイツ国民が自らのアイデンティティを問われるい くつもの重要な論争があった。これらのいずれの時期、いずれの論争においてもイーゼン ゼーが積極的に発言していることが重要である。反対にいえば、わが国においてこの問題 に真正面から取り組んだのは、日比野勤および毛利透などに限定され、その研究の蓄積は 十分なものではない。

   第二章と第三章の記述に関しては順番が逆ではないか、との疑義があげられる可能性が あるが、第二章の方が、「序論」での、ヴァイマール期の法実証主義国法学の批判から生じ たシュミットの「市民的法治国家」というパラダイムを、戦後、ドイツ連邦共和国ではど のように発展させてきたのか、という説明に接続しやすい。トーマス・クーンのいう本来 的意味での「パラダイム」を離れたとしても 、「パラダイム」は、「パラダイム・シフト」 という語で使用される場合、「時代の思考を決める大きな枠組み」の意味でつかわれている のであり、その意味では「基本価値論争」も、戦後における「パラダイム」論争の中での ひとつの議論であると評価できるからである。

  そのような大きな憲法上の構築物、「カテドラル」の構造や議論を論じた後、第四章は、 「憲法内在的道徳」とし、基本法内在的道徳の探求法、基本法内在的道徳の構成要素の二 つに大別して、議論をロベルト・アレクシーの「憲法内在的道徳」を素材にして展開する。 これは、ある意味では、社会学者ハーバーマスの『事実性と妥当性』に対する法律学者か らの応答であるとも評価できる。憲法秩序体系、あるいは国法体系というカテドラルのな かで、その内容・価値を検討するものである。ルドルフ・スメントの言を引用して、アレ クシーは、戦後ドイツ連邦憲法裁判所の判決の中に「基本価値」、すなわち、「憲法内在的 道徳」を探求する手段を見出そうとする。それは、ヴァイマール共和国期および戦後、ハ ンス・ケルゼンがポール・ラーバウントやゲオルグ・イェリネックの法実証主義国法学が その徹底において不十分として、それらの「価値」「道徳」を排除してきたことと対蹠であ る。 

 第一部の最後は、第五章「人権の価値秩序と合憲性審査基準」とし、人権概念の基礎付 け,類型および合憲性審査基準の区別、ゲオルグ・イェリネック型の人権類型論の新しい 解釈、試案としての人権類型論に大別して議論を展開する。とりわけ、ここでは、石川健 治の「身分制の構造転換」による基本権類型と、「手続法的パラダイム」に則った、アレク シーのそれとを対比することによって、戦後、なんども試みられてきたのに、そのたびに 断念されてきたとされる「基本法・憲法の価値序列化の試み」に、自らも「関与」しよう と考える。あわせて、樋口陽一‐石川健治ラインの「フランス革命」理解と、自分のそれ との違い、また、「ヒエラルキー」についての自らの理解を詳述した。

 

   第二部 基本権構成要件・基本権保護義務・基本権衝突

   第二部は、「基本権構成要件・基本権保護義務・基本権衝突」とする。これは、基本権構 成要件、保護領域、保障領域の問題と、輻射効、国家の基本権保護義務、基本権衝突の諸 問題を分けていたものを、ひとつに統合したものである。それは、理論的には、実体的要 素と手続的要素を分離することには意義があるが、一方においては保護領域なるものは、 いわゆる「三段階審査 Drei-Schritt-Prüfung」論という極めて訴訟法的理論から生じたも のであるからである。であれば、序論で簡単にそのことは示しているので、衝突という観 点から、もうすこし大きな枠で価値・原理の衝突と比較衡量を考察した方がよいと感じた からである。第二部は、以下の第六章から第十章までの五つから構成されている。

  第六章は、「「基本権構成要件」なのか、それとも「保護領域」なのか―第二部を語るた めの用語解説―」とし、基本権制約論、三段階審査論、基本権衝突論の第一のステップで 使用される「用語上の混乱」、そして、刑法理論および民法理論との対比において、憲法理 論上のその「精緻化」の遅れへの危惧を指摘した。

  たとえば、わたしはかつて、この Grundrechtstatbestand を「基本権構成要素」と翻訳 したのであるがその後、これを「基本権構成要件」と翻訳し直した 。一方、長尾一紘は、 この翻訳をロベルト・アレクシーの弟子 の マ ル テ ィ ン ・ ボ ブ ロ ウ ス キ ー の Grundrechtstatbestand を以って、「広い要件事実」と「狭い要件事実」と使い分けている 。 そもそも、戦前の段階で京都帝国大学教授だった憲法学者大西芳雄によって、「タートベシ ュタント」は「構成要件」という翻訳語があてられているのである。このように、「構成要 件」なる語も、翻訳するものによって大きく変わってくるのである。また、多くのドイツ 国法学・憲法学の研究者の間で「基本権」、特に、防禦権の審査基準としてドイツの「三段 階審査 」論の導入の可否が議論されるようになっている。この場合においては、その第一 段階のステップとして「基本権構成要件」に該当するものが使用されているのであるが、 その場合においては「保護領域」なる語が使用されている。さらに、話を複雑にするのは、 三段階審査論の延長において、ドイツ連邦憲法裁判所判決の「グリコール判決 BVerfGE105,252.」 「オショー判決 BVerfGE105,279.」を経て、現代国家を「保障国家 Gewährleistungsstaat」と 捉 え る ボ ル フ ガ ン グ ・ ホ フ マ ン = リ ー ム に よって「保障領域」なる語が使われるようになったことである 。そして、前述のように本 来は、防禦権の審査基準として展開された「三段階審査」論は、ドイツにおいてもこの「保 障領域」を含めたものとなっている。いずれにせよ、「基本権構成要件」、「基本権構成要素」、 「基本権要件事実」、「保護領域」―あるいは、「保護範囲」―および「保障領域」なる語が 次元を変えつつ議論されてきたことが理解できよう。このような観点から、本章において は構成要件にかかわる用語法の整理を行った。

  また、比較的早い時期から、石川健治は、ピューロート/シュリンクの『国法学』の教 科書によって広まった「三段階審査」論の一番目と二番目の審査段階を入れ替えている(余 談ではあるが、ピューロートとシュリンクは、それぞれ「スメント・シューレ」と「シュ ミット・シューレ」にであることが興味深い)。すなわち、石川は、第一段階の「保護範囲」 と第二段階の「制約」を、第一段階に「制約」を、第二段階に「保護範囲」に置き換える ことを提案しているのである。これについては、賛否があろうが、少なくとも草野豹一郎 シューレにとっては、すなわち、初期のエルンスト・ルートヴィヒ・ベーリングの「構成 要件理論」によれば、「特別構成要件」が「行為」、ここでいえば「侵害」の判断のあとに おかれることは、奇異なものではない。このような理解が刑法理論の「精緻さ」に比べて の憲法学の「非精緻さ」、あるいは議論の「蓄積」の少なさを意味しているのであろうか。

  第七章は、「開かれた基本権構成要件は何を含みうるか―ロベルト・アレクシーの「ルー ル/原理/手続モデル」を中心に―」とし、原理理論から見た、比較衡量、構成要件につ いて検討した。ここにおいても、第八章で後述するイーゼンセーの「狭義の基本権構成要 件」理論と、アレクシーの「広義の基本権構成要件」理論を「対比」させることによって、 かれらの理論、概念を明確にする。なお、第七章と第八章の順序については、現在、ドイ ツ国法学・憲法学においては伝統的に「広義の基本権構成要件」が支配的学説であり、ま た、ボルフラム・へーフリングによれば、「開かれた基本権解釈論と広義の基本権構成要件 は、必然的に双方から互いに基礎付けあっている」とされるからである。

 「憲法」あるいは「憲法律」をどのようなものであるか、を考えるとき、それは「価値 秩序」、あるいは「枠秩序」である、という憲法学説上の論争が戦後、繰り返し争われてき た感がある(コンラート・ヘッセとエルンスト=ヴォルフガング・ベッケンフェルデの間の 論争が有名)。ただ、「価値秩序」あるいは「枠秩序」いずれであっても、その「秩序」内 での調整をはかるための物差しが必要である。そのための第一段階として、「構成要件」と いう概念が使用されてきた。もちろん、「広い基本権構成要件」説をとれば、「狭い基本権 構成要件」説をとるよりも、「基本権衝突」の数的増大に繫がる虞がある。そこで、わが国 と同じように、ドイツにおいても「対立」「衝突」をネガティブに理解する見解も見られる ところである。事実、二十世紀の終わり近くに、「基本権衝突」の増大の問題も併せて、「連 邦憲法裁判所裁判官の加重負担」を解消する目的のため、実現はされなかったがいわゆる 「ベンダ委員会」により、ドイツ版「サーシオレイライ」制度の導入が検討された経緯が ある。とはいえ戦後、ドイツおよびわが国のとった「立憲主義国家」は、「価値相対主義」 「多元主義」を許容するものである。とすれば、ヘーフリングが指摘するように、「構造化 された、異なった利益そのものを指摘する論証と包摂過程の要請を真摯に受け止めるなら ば、むしろ起こりうる衝突・競合事例の数量的減少の方が否定的状況であるだろう。この ような減少は、非公開の評価、論証および統制が困難な決定という高い代償を支払っての み達成されるからである」。さらにこのことは、佐藤幸治の言うように「『司法権』とは, 具体的紛争の当事者がそれぞれ自己の権利義務をめぐって理をつくして真剣に争うことを 前提して,公平な第三者たる裁判所がそれに依拠して行う法原理的な決定に当事者が拘束 されるという構造」である、という司法プロセスとも接続することとなろう。このように 考えるのならば、「基本権上の価値・原理の衝突」は、ネガティブにのみ解釈されるのでは なく、ポジティブに解釈されなければならないこととなる。第七章は、このような主張を 検証するためにロベルト・アレクシーの「開かれた基本権解釋」と「広義の基本権構成要 件理論」を概観・検討した。

  第八章は、「ドイツにおける狭義の基本権構成要件理論―ヨーゼフ・イーゼンゼーの学説 を中心に―」とし、特に、イーゼンゼーの「狭義の基本権構成要件」理論を明らかにする。 ここにおいて、基本権構成要件、 基本権の基盤としての「国家の権力(暴力)の独占」、狭 義の基本権公構成要件理論の意義と問題点について順次、検討していく。

   ここでは、その問題点のみを示しておこう。

   第一に、イーゼンゼーは国家の権力独占により基本権の行使態様を限界づけることで狭 義の基本権構成要件を基礎づけているが、これには問題がないのであろうか。国家の設立 目的は平和的統一であることから、市民には平和義務が課されるのであるが、基本法八条 一項の集会の集会の自由の「平穏性の留保」以外に、基本法一般に加害禁止原理を読み込 むことは困難なように思われる。イーゼンゼーは、基本法から一八世紀のアメリカおよび フランスの憲法ならびに権利章典に遡及しつつ、国家の基本権保護義務を中心として、安 全を求める権利、加害禁止原理および平穏性の留保を、欧米社会において前立憲国家的深 層になっている、としている。彼によれば、これらが基本権規定において暗黙の了解を得 ているのは、民事法と刑事法が整備され、すでにその段階で、これらが欧米社会において 憲法史的なコンセンサスになっていたからである。しかし、一律に各基本権の基本権構成 要件に、加害禁止原理を読み込むことには疑問が残る。

   第二に、イーゼンゼーの狭義の基本権構成要件理論は、彼が比較的広い加害禁止原理を 採用するために、理論的に徹底されていないのではないか、ということが問題となる。彼 の基本権構成要件理論の特色は、加害禁止原理によって「明白な、他者による基本権保護 法益の侵害、特に、物理的暴力によるもの」は比較衡量することなしに、基本権の行使態 様から除外する、ということにある。さらに、それは徹底されており、個別的基本権レベ ルに止まらず、一定の行為が狭義の基本権構成要件によって、基本権構成要件の外に限界 づけられるならば、基本法二条一項の一般的行動の自由も受け止め基本権としては機能し ない、とされている。しかしながら、イーゼンゼーは、加害禁止原理をもっぱら物理的加 害禁止だけをカバーするものではなく、精神的加害禁止もカバーするもの、と定義してい る。そのために、口頭による基本権法益侵害や、暴力的でない基本権法益侵害が問題とな る場合、加害者の基本権と、被害者の基本権の調整は、制約の段階における比較衡量によ って計られることになる。ヘーフリングがいうように、このことは、加害禁止原理として の厳格さを欠き、不整合なものとしている。つまり、精神的加害禁止を加害禁止原理に包 摂させることは、加害禁止原理をルールとして捉える者にとっては、厳格性を欠くものの ように思われ、アレクシーのように、原理理論を徹底させようとする者にとっては、その 徹底度に欠けるように思われるのである。

   第三に、狭義の基本権構成要件理論は、たとえば、表現の自由と経済的自由のような、 異なった基本権構成要件間の対立には有効であるが、同一の基本権構成要件の積極的側面 と消極的側面が対立する場合には有効ではないのではないか、ということが問題になる。 たとえば、ヨハネス・へラーマンによれば、消極的自由権と積極的自由権の間の基本権構 成要件上の衝突の解決に際しては、抽象的な優先決定はゆるされない、とされる。なるほ ど、表現の自由の優越的地位を用いて、価値序列をあらかじめ確定するならば、表現の自 由と経済的自由の対立は、前者に軍配を上げることも可能ではある。しかし、これ自体も、 商業的言論を考えれば、問題がない、とはいえなくもない。しかしさらに、ヘラーマンが 引く、ヘッセン州の「学校礼拝事件」を例にとれば、学校における礼拝をしたい生徒の積 極的信仰告白の自由と、礼拝をしたくない生徒の消極的信仰告白のどちらかを all or nothing に優先させることが問題であることが理解できるであろう。一定の価値秩序の設 定のためには、国家の倫理的基盤が不可欠であるが、はたして「中立な国家」が再び、そ れを再建することが可能なのであろうか。 

 第九章は、「第三者からの侵害に対する基本権保護」とし、「国家の基本権保護義務」論 と「基本権の第三者効力」論との関係を検討する。これは、ドイツの標準的「国法学」の 基本書・教科書においては、「基本権衝突」とあわせて、同じ章や節で説明されるところで ある。だが、これらの問題は密接に関連するとともに、理論的には厳密に区別しなければ ならない問題である。「第三者効力論」という現代的問題性が、「私人間の紛争解決の困難 性」が「立法の不作為」に起因する場合に生じることにかんがみれば、それを国家への作 為請求権を含めた「国家の基本権保護義務」という大枠のなかで語る可能性が必要である。 本章では、この整理を行う。

   若干の敷衍をしておくこととしよう。およそ、この世紀の端境期の一〇年間の間に第三 期、ないしは第四期と呼ばれる「基本権の第三者効力論」についての活発な議論がドイツ およびわが国で展開された。それは、それまでの議論枠に止まらず、この問題を「三極関 係 Dreieck」 の中で語る必要性を考慮する契機を与えたからである。そこで、伝統的な「基 本権の第三者効力」から「国家の基本権保護義務」という「新しい議論」の土俵に乗り換 えるにせよ、伝統的学説を振り返り、オットー・バホッフ系列のユルゲン・シュヴァーベ 説を概観・検討し、ロベルト・アレクシーやクラウス・シュテルン等の第三者効力論を紹 介・検討を試みることが必要である。よく考えてみるならば、この時点においても第三者 効力についての議論は、被害者としての私人と、加害者としての私人の間の基本権の「効 力」の有無に止まるものではなくなっていた(たとえば、環境問題 や自然災害 )。ここに おいては、「第三者効力」論のなかで「国家の基本権保護義務」を語るのか、「国家の基本 権保護義務」のなかで「第三者効力」を語るのか、という選択肢の中で、後者をとるわた しなりの見解を示す必要があろう。また、この議論の「土俵」が設定されたとしても、そ こで当事者が主張する「基本権」が「保護権的構成」を取るべきか、「防禦権的構成」を取 るべきか、その論理構成の区別を行うことも必要である。 

 最終章、すなわち第十章「基本権衝突と裁判所によるその救済」は、第六章から第九章 までで説明したことを前提に、わが国における「基本権衝突」についての議論の貧困さ、 「基本権衝突」の解決などを概観・検討して、本稿を締めることとする。その際、なぜ、 「基本権衝突論」をはじめとする憲法価値・原理の衝突について議論する意味があるのか を再度示すこととする。

   衝突事例こそが訴訟当事者を「論証と反証のゲーム Spiel von Argument und Gegen-argument」のプレーヤーとして、つまり、「参加者」として競技に「関与」させる。 ここで、原文においてはアレクシーが Spiel von Grund und Gegen-grund としているとこ ろを Spiel von Argument und Gegen-argument に読み替えているのは、アレクシーが「ル ール/原理モデル」から「ルール/原理/手続モデル」に理論を展開し、「参加者」として の視点をさらに強調しているからである。そこにおいては、自らの「価値」「原理」「利益」 「意思」「身分」「地位」「自由」「権利」等をこの「ゲーム」の場で真摯に主張・立証しな ければならない。


   総括

   本稿において、シュミットの「価値による専制」に対する疑義を排し、かつ、佐藤幸治 の「法原理機関」としての「司法権」にかんがみたとき、このようなアレクシー型の「ル ール/原理/手続モデル」の一応の説得性を認めることとなる。これは、大西芳雄や佐藤 幸治も含めた「京都学派」の伝統にも、繫がるものではなかろうか。すなわち、基本権価 値・原理の衝突は決してネガティブなものとしか解されないものではなく、争点を明確化 するものなのである。                                                                                             https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/235039